人類のお布団

ももクロちゃんはあたたかい
何をしていたって、根底に必ずあたたかさを宿している
いつだってあたたかさをくれる
それはまるで冬のお布団のようだ

みんなそれぞれ日々の暮らしがある
一人一人に波乱万丈がある
寒空の下凍える一日もある
でも家に帰れば必ずお布団があって
それはずっとずっとそこに在って
あたたかさで私達を包んで
明日も生きる力を補給させてくれる

朝になればなかなか抜け出せないあたたかさ
そのまま一日中お布団に入っていられたら幸せだ
でも、寒い中頑張ってきた日の方が、あたたかさが沁みたりする

この世界には、お布団を知らない人もいる
そんな人だって、一度寒いところに来てお布団に入ってしまったら、自分で体感してしまったら、その瞬間、あたたかさの虜になるだろう

本当は誰だって、あたたかさを求めている
生まれた瞬間から、あたたかさを求めている

そんな矢先、ふわりと目の前に現れたももクロちゃんがとってもあたたかい人達だったから
毎日あたたかいままそこにいてくれるから
だからずっと一緒にいるんだ

今、寒い思いをして生きている人にこのあたたかさを教えてあげたい
今、ぬくぬくと生きている人にも、こんなにあたたかい素敵なお布団もありますよってこと、知ってもらいたい

たまにでも、たった一回でもいいから、沢山の人にももクロちゃんのあたたかさを味わってほしい
ももクロちゃんが人類のお布団になったら、世界ごとあたためてしまえそうだから

タキシード・ミラージュ

目の前に凛と立つ神々しいほど美しいしおりん

素顔の見えないメイクでも輝く笑顔のれにちゃん

百田夏菜子として圧倒的オーラを放つ夏菜

手負いながらも優しい眼差しで歌を届けるあーりん

可愛らしいツインテールを揺らしながら深いビブラートを響かせる杏果

ピアノのイントロ。心の奥底に今も揺蕩う大切な景色が蘇る。


2014年2月27日、MTV LIVE 2014 supported by SIDAX with LIVE DAM〜“美少女戦士セーラームーン”THE 20TH ANNIVERSARY MEMORIAL TRIBUTE~ 
に赴いた。
奇跡的に当選を果たしたZepp Tokyoでのライブだ。
MTVからの招待ハガキが届いたのがちょうど今通っている大学の合格発表と同じ日だったのだが、俄然招待ハガキの方に歓喜したのをよく覚えている。

3月15日の国立大会を控えつつ、受験後1年ぶりに会いに行くももクロちゃん、にして初のライブハウス現場。
何日も前からテンションが上がりすぎておかしくなりそうだった。

Chanでしか見たことのなかったZepp Tokyo
久々に見るカラフルな人々
国立で連番予定の友達と、淀んだ冬空の下、そわそわと語り合っていた。

整理番号は大して良くなかった。勝手もよく分からず、とにかく順番が来たら急いで会場に入った。すると最前ブロックの右側に案外まだ空きがある。
ステージのあまりの近さに目が眩み、最前ブロックへの挑戦を決めた。あの時の心拍数は恐ろしいほどのものだった。

いよいよ、ライブが始まった。
ステージ上に出てきたマントのおじさんが、近い!近すぎる!
まいんちゃんとしてずっと見ていた福原遥ちゃん、可愛い。突然出てきたなめこ、可愛い。曲に合わせてぴょんぴょん跳ねる「ぴょんぴょんぴょん」で地味に前に詰めていくモノノフ達。
しょこたん登場の圧縮に乗りグッと前へ出るモノノフ達。よく聞いていたアニソンに歓喜。熱い。顔がはっきり見える。可愛いすぎる。
堀江美都子さんをミッチー!と呼ぶモノノフ達。妙な団結感と高揚感の中、楽しく聴いていた。じりじり進みながら。
そしてマントのおじさんが最後の出演者の名を呼ぶ。


M O M O MOMOIRO CLOVER...

Zeppに響く魂の叫び
一気にドカンと圧縮が来た。一歩でも前に、一歩でも前に。通勤電車のような圧力。訳が分からないくらい力一杯叫んだけれど、自分の声が全然聞こえない。
気がつくと最前ブロックしおりん前の6列目くらいにはいたと思う。

鳴り止むoverture
ついに、ついに姿を現した最愛の5人

私は初めて至近距離でももクロちゃんを見た。

そこから先のことは、余りにも夢のようで判然としない。
けれど、とにかく目の前に立つ玉井詩織さんが、人間とは思えないほど美しかったことはかなりはっきり覚えている。
初めて間近で見る杏果のあまりの可愛さに失神しかけたことも。
骨折中のあーりんは頑張っていて可愛かったし、月野うさぎメイクを施したれにちゃんはそれでも可愛かったし、本物の夏菜子はとにかく可愛かった。
ももクロちゃんはこんなにも可愛いのかという衝撃だけは、ありありと胸に刻まれている。

1曲目、ずっと惚れ込んでいたムーンライト伝説はやはり素晴らしかった。推され隊・りんりんの美しいハモりと張り上げる夏菜子、作り込まれた滑らかなダンスに魅了される。

2曲目は、まさかの猛烈。イントロと共に猛烈なモッシュ。何度も何度も映像で見てきたダンスが目の前で繰り広げられている。歌はもちろんのこと、「星の子供が...」「僕は君のことを...」パートの後ろで4人が目を合わせながら踊るあの大好きなところが間近で見られて、感動が湧き上がった。

3曲目、まさかすぎるBelieve。死んだと思った。
のちに公開された映像でカットされたこともあり、もうほとんど記憶がない。死んでいたのかもしれない。
ただ、「ラップが凄かった!」という書き残しを発見したため、ももラップあやラップでぶち上がったことは想像出来る。

4曲目、フォーメーションを見て全身が叫んだ。まさか!一番大好きで一番思い入れのある、私の神的存在、ピンキージョーンズ
脳が絶頂していたと思う。
この頃には前から3、4列目くらいに詰められていた。連番相手とはとうにはぐれた。ペットボトルを落とした。正直前の人達の隙間からチラチラと見る感じで、時に隣の人の腕で耳が塞がれた。呼吸もままならない圧縮地獄。そこに響いた、今まで何度も何度も助けられてきたあのフレーズ

逆境こそがチャンスだぜぃ!

今ここにいる私がまさにそうだと思った。
極限状態で揉まれる、この逆境に飛び込んだからこそ、目の前の5人のきらめきを間近で拝めるのだと。
逆境こそがチャンスという言葉が、あれほど染み込んだことはない。

そして、ラスト1曲。
MCも挟んでいたが、たった5曲なのに結構長く感じた。一瞬が永遠のように。

このライブで初めて聴くためにあえて音源を聴かずにいた、タキシード・ミラージュ。
ライブハウスの最前線でバラードを堪能出来るなど、夢のようだった。
一人一人が丁寧に歌い上げる。みんなの表情が美しくて、みんなの歌声がしっとりと心を包み込む。しおりんが。れにちゃんが。夏菜子が。あーりんが。
そして

ナミダが星になっても
回転木馬きえても
おねがいよ キスを やめないで

目の前で杏果のバラードを聴く、夢にまで見た瞬間。
優しく紡がれる綺麗な情景、美しく切なげな表情、最後にしっかりと心を貫くビブラート。
感動だとか、そんな言葉じゃ言い表せない。何も言えない。幸福の極み。

あの感覚だけは忘れない。
あの日あの場所にいたことを忘れない。
私はずっといつまでもついていく。永遠にモノノフでいたい。
そうまで思わせたタキシード・ミラージュだった。


あの楽しく感動的だったセラムンライブから1年、月刊TAKAHASHIなる定期公演が始まった。
グリーンドームでの12月号は当たったもののZeppでの公演は当たらず、再びライブハウスで彼女達のライブを見ることは叶わなかった。
代わりに、映画館へよく通うようになった。

そんな中突然開催されたありやスクリーン。
杏果だけを映す、夢のライブビューイング。
あれから今日で一週間になる。

一面の緑の中で見えたのは、たくさんの可愛い杏果、かっこいい杏果。舞台裏も含めてとにかく杏果。笑顔も真剣な顔も後ろ姿も、杏果パラダイス。
と思ってウハウハしていたら、ありがとうのプレゼントと白い風の圧倒的な歌唱にノックアウトされる。そんなありやスクリーン。
最も期待していたロマンティックこんがらがってるが来て舞い上がったが、期待を遥かに超える可愛らしさでそのまま天にぶっ飛んだ。
アンコール中のメイク直しまで見せてくれた。ここでも可愛すぎだ。アンコールが短く感じられる。そしていよいよ、客席のカメラに戻る。ぃよっしゃももクロ!さあ次の曲!その矢先。

ピアノのイントロ。
絶対に忘れられない、あの綺麗な旋律。
ペンライトの動きを止めて、固まってしまった。
フォーク村では一度見たものの、ライブではあの日以来聴いていなかった思い出の曲。

5人の声が響く。杏果は綺麗な表情をしている。
それがどうにもこうにも、あの日見た杏果に重なった。
記憶が引きずり出されていく。間近で見つめる杏果は、確かにこんな感じだった。
映画館にいながらにして、ここがZeppであるかのような気分だった。

そして杏果がマイクを持つ。
初めて聴いたあの日とは違って、もう何度も何度も何十回何百回聴いた歌。
積み重なった思い出の深み、遥かに高められた歌唱力、それはあの日とは違うけれど。
それでも、あの日と同じ響きを自分の中に感じた。

ありやスクリーンは単に楽しいイベントだったり、杏果を見たい人向けのサービスというだけではなかったのだ。少なくとも私は大きな可能性を感じた。
杏果だけを映すという夢のような非現実を具現化する試み、でも本当はそれこそが現実のライブに最も近いライブビューイングなのではないか。
カメラがあちらこちらをランダムに映していくのではなく、目線の対象を固定してじっくり見続けさせてくれる。
それは、ライブハウスの最前で杏果を見ているかのような錯覚を生む映像。現場の擬似体験として通常LVよりリアルだと思った。
きっとそれは現場の特権であった景色だが、今や小箱のチケットなどは激戦でしかないももクロなのだから、たまにはこうして敗者にお裾分けされてもいいのではないかと思ってしまう。あーりん版の話も出たが、是非またやってほしい。

ともかく、図らずもあの日のZeppの追体験をした最後の曲が終わり呆然と浸っていると、なんとそのままライブが終了した。曲数は変わらないとはいえ、アンコール後が一曲という初めての試みに一瞬拍子抜けした。
けれど、あの余韻を掻き消されることなくライブが終わってくれたのはありがたかった。

ただ、アンコール後一曲はともかく、タキシード・ミラージュでライブが終わるというのはあの日と同じだ。

セトリを組んだあーりんは、歌った5人は、思い出してくれていただろうか。
タキシード・ミラージュを響かせた、あの日のZepp Tokyoを。

ありやスクリーン、その前に。

あと数時間でありやスクリーンだ。

杏果推しとして気合いの入る現場(国立1日目、日産1日目、先日のGF・フォーク村…)には多々参加してきたが、本人が居ないにも関わらずここまで楽しみな行事は初めてである。
遠足の前日は眠れないもので、絶賛睡眠不足だ。構わない。帰ったら眠ればいい。アドレナリンでなんとかなる。だから今は眠るよりモチベーションを上げよう。

そういうわけで、杏果推しになった経緯を振り返ってみることにする。

そもそも初めてももクロを見た時(以前のブログ参照)、心惹かれたのは夏菜子だった。
けれど、舞台裏で泣く杏果の「もう一回みんなの顔が見たい・・・」に号泣してモノノフになったのも事実だ。あの瞬間から私の杏果推しとしての歴史は始まっていたのだろうか。                            
ともかく最初は夏菜子だった。夏菜子だけが抜群に光り輝いて見えた。

ももクロをよくよく見ていくうちに全員に魅力があることが分かった。なんとなくベースは箱推しを気取りつつ、新しい映像を見る度に違う子が気になって、毎週毎週推し変しているような状態になった。

順番はあまり覚えていないが、ももクリ2010の「…愛ですか?」を観てしばらくしおりん推しになったことは忘れられない。れにちゃんのことも長く推した時期があった。夏菜子を推す時期は定期的に訪れた。

推しを決め兼ねつつも、いつかライブに参戦する日までにははっきりさせようと意気込んでいた。極楽門の映像からモノノフになったことで「カラフルなTシャツ」に対する果てしない憧れがあったからだ。
そうして推しを決めよう決めようという目線でももクロを見ることに辟易することも多々あった。1人を選ぶことは4人を否定することではないか、と。それでもやっぱりあのカラフルの一つになってみたい・・・とこだわり続けてとりあえず落ち着いたのが、あーりんだった。

実は極楽門を見た時、ぶりっこのピンクだけは生理的に無理だ、と跳ね除けてしまっていたあーりん。それでもすぐに、あーりんは「あーりん」であって単なるぶりっこではないし誰よりもかっこよくてしっかりした子なのだ!と気が付き、反動で一気に好きになった。
あーりんは私の中の既存の「アイドル」像をばっさり塗り替えてくれた恩人だ。
一番年下なのに一番しっかりしたあーりんを、気が付けば尊敬し、ずっと目で追うようになっていた。

と、そこで記憶が途絶えている。

正直、その後どうしたのか、あーりんをどのようにいつまで想い続けていたのか、なによりももクロを知りたての頃杏果をどう思っていたのか、あまり覚えていない。

恐らくあーりんの次に好きな子、になっていた気がする。最初からかなり好きだった気もする。ブログは一番好きだなと、思っていた気がする。気がするだけな気もする。

でも、本当に、気が付いたら、杏果がいた。
ずっと私の心の中に、ももかくれされていたみたいに。

まず、杏果寄りの箱推し的な立ち位置になっていたと思う。
それから「緑を着るんだ」という決心をつけてくれたトリガーは、おそらくお台場フォーク村の「なごり雪」か女祭り2011のDVDのどちらかだった。多分。
はっきりしていることは、満を持して初参戦したももクリ2012には全身緑で臨んだということだ。
だから2012年の秋~冬、モノノフになって1年経つ頃に私は明確な杏果推しになったのではないかと考えている。

経緯を振り返ってみよう・・・などと大層な書き出しをしつつ、こんなふわっとした書き方しかできない。
確かになごり雪を観て、こんなに感情を込めて歌われたら惚れるしかない、という気持ちになったことも、女祭り2011を観てボロボロに泣いて杏果を推さねばと思ったことも本当だけれど、それは決意の再確認であった気もするし、なんだかもっと前から・・・

正確なきっかけが存在する必要も、思い出す必要もないのだが、どうして杏果推しになったのだろうと考えると不思議な心持ちになってしまうのだ。杏果の歌に惹かれましたとか、努力家な面に心打たれましたとか言うのは簡単だけれど、本当の始まりはなんだったのだろうと。
それとも私は「もう一回みんなの顔が見たい・・・」の時点で杏果推しだったのだろうか、いや、子供時代の私は土曜の朝6時前に起きてポンキッキーズ見てたよな、オカザイルも当時見たよな、あれ・・・なんて考え出すと思考がぐるぐる絡まっていく。

けれど。
潜在的に気になり出して、無意識で追って、気付かぬうちに杏果の姿が、言動が、文章が、ダンスが、歌声が、じわじわ、じわじわと染み込んで、脳が、心が、だんだん緑色を纏い始めて、意識がはっきりと杏果を捉えた頃にはもう、離れられなくなっていた・・・
なんていう解釈も、間違っていないと思う。アリだ。
実際に杏果推しの中にはこういう人も多い気がする。

なんだかそこに、結局言葉では表しきれない杏果の不思議なアイドル性があるように感じる。
不思議と目が離せなくなっていくメンバー。
どこまでも人間らしいのに、どこか妖精めいた女の子。
それが有安杏果さんなのではないか。


まあともかくそういういきさつがありつつ今はすっかり杏果推しとしてバリバリやっているという雑な結論で締めようと思うが、
さて、では。
なんとなく気になって目で追ってしまう有安杏果さん。
そんな彼女だけを強制的に見続けさせられるありやスクリーンを前に、人はどうなってしまうのでしょうか。
未来の自分が何を書くのか非常に楽しみである。

拝啓 天神様

三つの赤い橋を渡るあの子は、驚くほど緊張の面持ちで。
五人の肌を刺す気持ちの良い寒さが、画面越しにひんやりと伝わってきて。
息を吸うのすら阻まれるような、不思議な空間。
遥か離れた遠の朝廷、どこまでも神聖なあの場所に、私も確かにいた気がする。

普通は、お参りなんてたださっさっさっと祈るだけ。
でも彼女達はまず、自らをアイドルたらしめる沢山のモノノフを引き連れ、ずっとし続けてきた彼女達なりの芸能活動を示してみせた。
そして、ももいろクローバーZのことを歌う「灰とダイヤモンド」を、神様の目の前で、一本のピアノに乗せて、堂々と奉納した。
その上でしっかりと頭を下げた。

これだけ、これだけ誠意のある子達なんです。
どうか彼女達を芸能人として、ずっとお護り下さい

霧が晴れた向こう側
綺麗事だけじゃなかった
でもまけないよ どんなにすごい風や
砂にまかれても

彼女達の決意は、きっと伝わったことでしょう。
歴史に名を刻む道のりを、どうかお護り下さい。

未来の象徴としてのももクロちゃん

先程、一杯のコーヒーを飲み切った。
それから机の上を片付けて、ふと思い出したちいさなことをやっぱり書き残そうと、スマホを開いた。

このコーヒーは先月貰ったものだ。確か五つくらいドリップバッグが入っていて、これが最後のひとつ。
大切な方の葬儀で頂いた香典返しの、最後のひとつだった。

私は久しぶりに誰かを亡くした。いや、親族以外で大事な人を亡くすのは初めてだった。
詳しくは書かないが一時期お世話になった方で、まあなんというか、心から尊敬し、信仰に近い愛を持ってアイドルのように追っかけ回していた方だった。

急死の報せを受けてから、葬儀に出席し、しばらく経つまで...地獄のような日々だった。
もうはっきりとは思い出せないが、あんなに涙が流れ、胸が締め付けられ、ひたすらに辛く悲しく苦しい、というのは初めて味わう感覚だった。
ただひたすら「死」に向き合い、後悔と喪失感と絶望感にもがく日々。
とても自分の好きなことをして楽しむ気などにはなれず、そうすることが故人に申し訳ないと感じて、私はももクロを絶っていた。

その時はちょうど夏休みの終わり頃で、だからちょうど家で破滅していられた。
大学が始まると思うと嫌で嫌で嫌で、このままずっと泣いて閉じこもっていたかった。

新学期の一日目、死んだ目をしながら本当に頑張って大学まで辿り着いた。
誰にも会いたくなかった。あの人を知らない誰とも話をしたくなかった。けれど朝から友人と会わねばならない用事があって、仕方なしに待ち合わせていた。
相手がモノノフだったから、余計に気が重かった。楽しい話などしたくなかった。

なんとなく緊張気味で会い、本来の用事を済ませると、夏休み明けということもあってか「最近どう?」というような言葉を掛けられた。普段はそんなこと言わないのに。
じゃあ言ってしまおうと、「最近」のことをかいつまんで話した。
それを聞いてもらえて、共感して貰えて、なんだか少し気が楽になってしまって。淀んだ空気を変えようと、思わず自分からももクロの話題を振った。

この間の月刊TAKAHASHIのLVが最高だったこと。確かそこから始まって。
前橋当たった!とか、ももクリのBlu-ray早くね?とか、今年のももクリは、とか、今度のLVが、来年のツアーが、アルバムが、今後のあの子が、ああ、ライブ行きたい、早く現場行きたいなー!!!
と、話していて途中で気付いた。
全部、未来の話だと。

ももクロちゃんに意識を向けた途端、未来が楽しみだという感覚を思い出した。
今を犠牲にして過去の思い出に涙するばかりで、未来が見えていなかった。それが供養になると思っていた。いつまでもそうしていなければとうじうじ思っていた。でも。
久々にももクロちゃんのことを考えて、やっぱり元気が出た。気付いたらそんなことを言っていて、
こんな時だからこそでしょ!と返されたらば、そうだね!と明るく答える自分がいた。

ああ、これこそが本来の自分だと思った。
今のももクロちゃんを楽しみ、未来のももクロちゃんにワクワクしながら生きているのが私だった。
本来の自分を捨てて破滅した人生を送ってもあの人に呆れられるだけだろう。

そう気付いたから、どん底から舞い戻れた。前を向けたのだ。


最後のコーヒーを味わいながら、そんなことを思い出していた。

あれから新学期の大学になんとか順応し、徐々に気持ちを落ち着けていき、普通の精神状態に戻った。だから今生きている。
結局ももクロちゃんに救われた。もう何度目かも分からない。

今を全力で生きて未来へ向かっていく彼女達と、一緒になって走る。それがこれまでもこれからも私の核なのだと思う。
あの人を忘れるわけではないのだから、逆にあの人に教わったことを生かすために私はきっちり生きなければならなくて、そのために必要な存在がももクロちゃんなのだ。

なにより、ももクロちゃんは死んでいなくて、同じ世界に生きている。今彼女達に貰えるものはとても尊い、無駄にしてはいけないものなのだ。
いつの日にか別れなければならないのなら、同じ世にいられるうちは精一杯大切にしたい。

だからこのコーヒーを飲み終えたらもっと頑張ろう。
あの人のために、ももクロちゃんのために、自分のために。

そんな決意を込めて飲み干したコーヒーは、少しさみしいけれど、未来の味がした。

女性の希望としてのももいろクローバーZ

SMAPさんや嵐さんのように、長く愛され続ける女性アイドルグループに」
それはももいろクローバーZのビジョンとして度々語られることだ。
女性グループではそのような前例がない、だから私達がなるのだと。
それは時にとてつもなく大きな夢のように受け止められる。ファンの中にも半信半疑な人は少なからずいるだろう。

しかしよくよく考えてみるとどこかおかしな話ではないか。
そもそも何故、長く活躍し続ける男性アイドルグループが存在する一方で、女性には前例がないのか。
30代、40代の男性がキャーキャー言われている一方で、30代、40代の女性はババア扱いなのか?日本はロリコン社会か?過激なことを言えばこれは一種の女性差別が生む現象なのではないか?


男祭りの一件をきっかけにふと「女性団体」について考えた。あの件の焦点はまた別の問題にあったが、結果的に「女性団体」が「ももクロ」を非難する構図が好き勝手に報道されてしまった。
それを受けて色々と考えるうちに、本来ならば女性の権利を主張する人達にこそももクロは高く持ち上げられるべき存在ではないかと初めて気が付いた。

私はアイドルについても女性についても専門的な研究をしたことはない。だからこれは一介の一般人としての見解だが、そもそも女性アイドルが長く続かないのには、漠然と蔓延り続ける"女性の価値=若さ"という価値観の影響があるのではないだろうか。それが日本独自のことなのかそうでないのかは分からないが少なくとも日本ではそういう風潮を感じる。
だからこそ、女性アイドルが生き残るのは難しいのではないか。

そんな中で堂々と「SMAPさんや嵐さんのようになる!」と宣言するももクロは、そのような風潮、もっと言えば時に女性が弱者である社会そのものへの宣戦布告を行っているも同然なのではないか。
同時にももクロはそれを実現する要素を大きく持つ稀有なグループだと思える。

以前からモノノフはよく「ももクロは普通のアイドルとは違う」と言う。
それは総合的にももクロを既存のイメージのアイドルとして、少女として、性的対象として消費することが出来ないということの表れだと捉えても良いだろう。それを裏付けるようにももクロには老若男女のファンが付いている。
ももクロはアイドルでありながら新たな意味での"アイドル"を創り続けひた走る革新者なのだ。若い女の子が愛でられる(または性的に消費される)タイプのアイドルとは違う、人として尊敬される"ももクロ"というタイプのアイドルをしている。

だからそのももクロならば、年齢を重ねても男性アイドル同様に支持され続け、女性蔑視へのアンチテーゼを成立させることが普通に出来そうな気がする。
女性グループがいくつになっても老若男女に笑顔を届け続ける。そんなことすら困難であった社会に、大きな杭を打ち込めるかもしれない。
女性団体なんかは、尚更ももクロを支援したい立場なのではないか。
ももいろクローバーZは女性の希望の星なのではないか。

そう考えると、私はフェミニストではないが単純に同じ女性としてももクロちゃんをますます応援したくなった。
アイドルや芸能界という枠を超えて、女性として世界に大きな伝説を残せそうなももクロちゃんを。

一方で件の報道については余計に悲しくなったが、これから一人でも多くの女性がももクロちゃんの勇姿を目にしてくれることを願いたい。
いつかももクロちゃんは多くの女性に勇気を与える存在になるだろうから、横槍に挫けず胸を張って頑張っていって欲しいところだ。

杏果と歌

すぐ憶測で杏果の心を推し量ろうとするのはファンの悪いところではあるが、そうさせてしまうのが杏果の面白さでもある。
だからとりあえず思ったことを書いておく。

昨日更新された杏果のブログ。
一週間前から彼女を苦しませていた扁桃炎が完治したと明記されており安心したのも束の間、衝撃的な文章に心臓を突き刺された。

"マスク2重にして喋るのも控えて
お家では筆談で暮らしたりと
いろいろ頑張ってるはずなんだけどなぁ、、、"

初めて聞く話だった。杏果がポロッと零した嘆きのように感じられてなんだかゾクッとした。普段余りこういうことを言わない人だ。

マスク2重にして喋るのも控えて」というのは普通に想像してみても大分苦しいものだが、
家では関西弁でうるさいくらいに喋り続けるというあの杏果が、喉の治療中に喋れないことが辛いと言った杏果が、まさか「お家では筆談で暮らしたり」などしているとは...

確かに杏果は何度か大事な局面で体調を崩してしまった経験を持っているし、今も決して強すぎるわけではない喉を持っている。
反省や悔しさや申し訳なさ等を踏まえた上で徹底した管理をしようというのは自然な話なのだろうが、しかし、
そこまでしているとは思わなかった。
辛いだろう。正気の沙汰ではないと言えるほどのことをしているんじゃないか。

何のためにそこまでする?できる?
メンバーのため?
ファンのため?
まずそれは物凄く大きいものだろう。「もう迷惑や心配は掛けたくない」という気持ちを、大きすぎるまでに持っているであろうことは容易に想像がつく。

それでもやっぱり、それ以上に杏果が抱えている想いは
歌のため
だろうと、率直に感じた。

5日前、扁桃炎の治療中であるにも関わらず点滴の針を刺したまま生放送で鋭く歌い上げた姿を見て、杏果の歌への執念には十分驚かされていた。
振り返ってみても、もう十分上手くなりきったと思わせてもなお毎月毎月歌が上手くなる杏果、計画的に努力を重ねるスタンスだから壮大な未来のビジョンなど殆ど口にしないのに「一生マイクを持っていたい」という願いだけは何度も何度も繰り返す杏果だ。
歌うためならば、2重のマスクで呼吸が苦しくても、あまり喋れずに寂しくても、大好きな家で言葉を発せなくとも、仕方がないと、杏果はきっと思っている。
そこまで対策しても運悪く病に罹ってしまったのならば、その状態で出来る全てを尽くして、歌うのだ。

普通の歌手もそういうものなのだろうか。それは分からないけれど、少なくともアイドルとしては尋常ではない。
杏果が努力家であることも歌を愛していることも十分知っていたはずなのに、こちらの想像を遥かに超える場所に彼女はいたのだ。

きっと偉大な野球選手はいつも野球のことを考えているし、素晴らしい社長は会社のことばかり考えている。ノーベル賞を獲った科学者はいつも自分の研究のことを考えている。そんな領域で杏果は歌と共に生きているんじゃないか...
なんだか杏果の生き様が羨ましくすらなった。歌と出会い、歌への情熱が芽生え、そして今歌うことを本気で愛して真っ直ぐ向き合っている杏果は本当にキラキラ輝いている。
水面下にストイックすぎる努力があるとしても、歌っている杏果はとても幸せそうなのだ。歌う職業は杏果の天職なのだ。
なんだかあのブログの数行から、そんなことまで感じてしまった。(これだから杏果は面白い) 

だからもう風邪とか病気とかにしないでくれと、神がいるのなら願いたい。
いつだって笑顔で歌っていてほしい。
そして改めて有安杏果さんの歌を一生聴いていたいと思った。

まずは今年の紅白歌合戦で、杏果が元気に歌えますように。

2011年10月16日②

〜前回のあらすじ〜
テレ玉ももクロのライブやってる!ってなんやこれ〜


ステージにいたのはあの大嫌いなももクロ、ではなく悪の組織的なキャラクター。観客のカラフルなTシャツをモノクロに染め上げようとかなんとか。あのしばらく続く茶番は、特撮好きで本物のヒーローショーも見る自分の目には随分と陳腐に映っていたと記憶している。
そこにようやく現れたももいろクローバーZ。戦隊もどきのスーツにフルフェイスのヘルメット。お、おお...
メンバーが出てきても、特撮好きとしては見苦しい茶番が長々と続いているだけ。大きなヘルメットに不釣り合いな細すぎる身体、この子達何歳なんだろう、年下?てか、なんこれ?と思いつつ、なんとなくダラダラ見ていた。

ようやくやっとついにライブが始まった。と思ったら1曲目はあの大嫌いなCMソング。うっさ。アイドルもももクロもやっぱ苦手だわ。そんな感じで途中で鉄腕DASHに変えたりしながら、真面目に見なかった。

だから私は、7時半すぎくらいまではアンチももクロだったのだ。

そして運命の時がやってくる。

1曲目が終わり2曲目、明るく賑やかな1曲目とは打って変わってゴリゴリにかっこいいイントロが始まった。お?ちょっと目を奪われた。
"飼い馴らせない欲望を恥じるのなら..."
かっこよくて聴きやすい。ダンスもかっこいい。歌詞が、めっちゃいい。なんこれ... テロップの歌詞を追いながらまじまじと見ていた。そして...

"夢は迷うものでも迷わない ブレーキなんかいらない
ここは行っとけ 今だカッ飛べ アクセル ベタ踏みで行け
マイノリティーな弱気蹴散らす 鼓動はガチタテノリ
今日しかない気持ちで 勇気をためそう"

サビでもう完全に落ちてしまった。一瞬の出来事だった。
翌日アルバムを借りてきてからエンリピする運命にあるその曲は、CONTRADICTIONという。
テスト前でモヤモヤ病んでいる高校生の自分にはぶっ刺さりすぎる曲だった。まず歌詞が素晴らしい。曲が素晴らしい。「まだまだ諦めない」と感情的に歌う姿、激しいダンスもカッコよかった。

ももクロ、凄いのかもしれない。

初めは時々鉄腕DASHもチラ見しながら、最後はもうテレビ埼玉だけをじっくりと、見続けてしまった。
ももクロというより、そもそもアイドルやアーティストのライブ映像を見るという経験すらなかった自分には、初めて打ち込まれる刺激が多すぎた。
女の子が汗水垂らしながらアクロバティックに踊り舞う姿。
"福島の桃が大好きです!..."と東北に寄せた歌詞を涙目で届ける姿。
賑やかな曲を笑顔で演り終えた直後、切ない表情でバラードを歌い上げる姿。
ひとつひとつが感動的で、思わず涙が零れる場面もあった。さっきまであんなに嫌いだった「アイドル」の「ももクロ」に泣かされていることなど、どうでもよかった。プライドなんてなかった。

そして決定的な瞬間は、ライブ終了後の舞台裏の映像にあった。

ライブは終了しているのに、客席では鳴り止まないダブルアンコール。しかしもう会場の都合で本当に終わらなければならないようだった。そんな中、メンバーは泣いていた。

「もう一回出たい...もう一回みんなの顔が見たい...」

そう言ってわんわん泣く子がいた。その姿を見て自然と号泣しながら私の頭に浮かんだのは、ドラッカーの『マネジメント』で読んだ、「真摯さ」という言葉だった。
さっきまでの全力のライブは、本気でやりたくて、本当にお客さんに伝えたくて、やっていたんだなと、ふっと分かってしまった。仕事に対する物凄く真摯な姿勢が一瞬で分かってしまった。
この子達は何歳かは分からないが多分同い年辺りなのだろう。同世代の女の子が、こんなに真摯さを持って仕事をしている。その事実に驚きと感動と尊敬と、惨めさが湧いてきた。

そんな、日曜夜9時。

ももいろクローバーZのファンとしての第一歩を踏み出した10月16日だった。
もう4年も前のことになったが、あの放送後に残した日記を読み返したり、毎年思い出して書き記してきたおかげで、割と鮮明に覚えている。

あの時何故「ももクロ?見るかよそんなん」と、無視しなかったのだろう。訳わからん茶番や嫌いな1曲目の段階でチャンネルを回さなかったのだろう。
散々「運命だ」と結論付けてきたこの疑問に、4年の歳月を経た私の答えを書いてみると、「必然だった」という表現になるだろう。
あの時ああしてももクロに出会うのは必然だった。私の人生にはももクロちゃんが必要だった。今は自然と、そうとしか思えない。

ここまで来る道筋に何があったのか、4年前の私は知らないだろう。
まだ何も、知らないだろう。

2015年10月16日

2011年10月16日①

2011年10月16日

4年前の今日、私の人生は大きく変わることになった。
高校一年生のテスト前、勉強しなきゃと思いつつダラダラ病む日々の中の、とある日曜日だった。

その頃の私はももクロが嫌いだった。元々アイドルが嫌いだった私の目に入ってきたジョイポリスのCM。校内放送で流れるそのCMソング。あとはなんとなくテレビで見るような見ないような。私とももクロの接点といえばそんなもので、そんなものなのに私はなんだか「うざい、うるさい」と彼女達をアイドルの中でも最も忌み嫌うようになっていた。

今日も大して勉強出来なかったやばい、そんな鬱々とした気分でお風呂に入った日曜夜7時。とりあえずお風呂のテレビは鉄腕DASHでいいかと思いつつ、一応ぼんやりと番組表を見てみた。それが全ての始まりだった。
私の目に留まったのはあの憎らしきアイドルグループの名前だった。よく読むとライブ映像らしい。
その時私は、何故だろう、見てみたくなった。確かに嫌い嫌いと言ってはいたが、一度でも彼女達のライブを見たことがあっただろうか。どんなことをしているんだろう。気になった指先は恐る恐る3チャンネルを押していた。

画面に映し出されたのは、なるほどこれがアイドルのライブ...
ではなく、ヒーローショー気取りの寸劇だった。いや、なんこれ。

続く