雑記

もう、ももクロちゃんを使って自己啓発をするのはやめよう。
ももクロちゃんに恥じない生き方を模索するのをやめよう。ももクロちゃんに何かを学ぼうとするのをやめよう。ももクロちゃんの歌にいちいち意味付けをして聴くのをやめよう。

私は今までずっと、ずっとそうだった。ももクロちゃんが頑張っているのに私は・・・ももクロちゃんにこんなに沢山のことを学んでいるのに私は・・・と。だから時々すごく苦しくなる。
はたまた、ももクロちゃんのために行ける現場には行かなきゃ・・・誰かにももクロちゃんの良さを教えなきゃ・・・なんて、義務的に動いていたのも、本当は苦しかったんだ。
まともなブログを書かなきゃ・・・エゴサされて困ることは飲み込まなきゃ・・・という苦しさも心の底にはあったんだ。言論の自由を自ら封じていた。

多分それらは全部、ももクロちゃんに出会う前から築いてきた私の気質に由来していたのだと思う。
中学生の時くらいから考えるようになっていた。人生に意味を持たせなきゃいけない。成功を目指さなきゃいけない。努力して成長しなきゃいけない。人のために使命を全うしなきゃいけない。本来は。だけど私はそうしてない。毎日何をやっているんだ、人生は短い、今日こそ変わるんだ、変われない、変わらなきゃ、人生を無駄にしてはいけない・・・。
まあ正直、ふとしたきっかけからビジネス書オタクになったのだが、それが大きく作用してこんな人生観に至った。プレッシャーを常に抱えて過ごしてきた。「ビジネス書読んでやる気出すけど何もしない」族、日本に溢れる無数の凡人の一人だ。学生のくせにサラリーマンに混じってませていた。
だからももクロちゃんに出会った時も、本屋でものすごい良さげなビジネス書を見つけた時のような感覚があった。あれほどアイドルが嫌いだった私が彼女達についていくことになったのは、同年代の女の子が真摯に仕事して汗流して踊る姿に「啓発されたい」という欲望が心のどこかに沸いたからだ。今なら認められる。

そんなんで今日までモノノフをしてきた。もちろんただただ好きだから動いている面が殆どだが、確実に、自己啓発を求めて動いている面もあった。
恥ずかしい、申し訳ない、苦しい・・・それは自分の成長の糧だから、むしろ良い感情だよ、「お前はただオタクやるんじゃなくて色々なことを考えている偉いモノノフだね」って。

今、全てをひっくり返したい。

最近本屋で「気にしないでゆるく行こう」「楽しく生きればいい」系の本を色々見つけた。というかそういう本を求めるほど私生活で打撃を受けて病んでおり、「楽しく生きなよ」と言われることがあったのだが。
まあそれはきっかけに過ぎないのだけれど(また本の影響で価値観を作る繰り返しのように見えるがきっとちょっと違う)、なんだか、今まで何を必死に考えてきたんだ、と呆気に取られてしまった。

なんというか、私は好きに生きていけばそれだけで良くないか、と思えてしまったのだ。
嫌なことを我慢するとか、勝手に義務感を持つとか、努力しなければいけないと思い込むとか、成功しなければ人生の意味がないと決めつけるとか、だから今の自分を常に否定し続けるとか、そういう思考、わざわざこの世に生まれてまで、いつ死ぬか分からない毎日の中ですべきことじゃなかった。私が今まで頭の中でぐるぐる考えて「考えてます」と気取ってきたこと全て、何が楽しかったんだろう。もっと好きに、気楽に生きていいのに。やりたいことやって、言いたいこと言って、嫌なことはやめちゃう。そんなんで、いいらしい。とにかく無理に意義を見い出すのはやめて、楽しいことをしていけば。
こんなことを言うと反対する人は必ずいて、私もそっち側にいた。でもなんだか急にバカバカしくなってきて、そういう楽しい生き方もなんかいいな、と思えた。若者よ、夢を持ち忍耐し努力せよ的なのはもう古い。甘くていい。「そんなんじゃ社会でやっていけな」くていい。私には向いてなかったし。ガチガチにならずゆるく行こうぜ。

そんな考えに至った時、本当に私がかっこいいと思える人はこっち側だ、ももクロちゃんもどちらかといえばこっち側の、いつも楽しそうに生きているタイプだと気付いた。だからこそ、なんか運が良くなって結果的に成功もしている。努力努力努力!だけで成功したわけじゃない。
というか彼女達は、全身全霊をかけて、笑顔を届けます、一緒に楽しみましょうということをやっている人達ではないか。みなさん私達みたいに努力して成功下さい!なんて強要する軍団じゃない。

だとしたら、ももクロちゃんに啓発されたがっていた自分ってなんだろう。

見たいからただただ見て、満足。それこそが「ももクロちゃんが好き」という気持ちに基づく純粋な行動だ。
例えば私の一番好きな曲「ピンキージョーンズ」を聴いて、「逆境こそがチャンスだ・・・一生一度青春だ・・・頑張らねば・・・」と(無意識にでも)気負うのではなく、極端に言えば「うおおおPJ〜〜!!!楽し〜勇気でる〜フリコピ楽し〜ダンスうめえ〜!」くらいで、もう少し楽に受け取っても良い気がする。

要は、胸に響くものは勝手に響くから、過剰に「受け取った意味を作ろう」という思考を自分に強要しなくていい。今まで私は、常にではないけれどそういうことをしなくてはならないという刷り込みの中に在った。もうそんな機会いらない。
それが、ゆるく楽しく生きるなかで「ももクロ」という趣味を楽しむための健康的なスタンスかもねと、もう、私は、決めてしまおう。

ももクロちゃんの存在意義は、(いや、意義なんてものすら本当はないのだろうが)、自己啓発書になることではなく、ただただ楽しさや笑顔を誰かと共有すること。もちろん地獄にいる誰かにとっては救世主で、優秀な誰かにとっては背中を押してくれる頼もしいヒロインなのだろうし、その気になれば世界平和も達成出来るだろうし、存在意義も使命も当然あることにはあるのだ。なんというか。
だけれど私にとっては、楽しい思い出をくれる好きな人達、でしかない。でしかなくていい。もう。苦味を感じながら「私の成長の糧」に仕立て上げなくていい。逆に言えば私がももクロちゃんを好きでいる理由は「好きだから」という以外に探さなくていいし、ライブに行く理由は「行きたいから」だけでいい。自己啓発的な意味を求めなくたっていい。

ももクロちゃんは頑張っているのに、自分はいつまでたってもダメだ」という思想に縛られている限り、私はももクロちゃんを殺している。彼女達は、客に苦しんで欲しくて歌ったり踊ったりしている訳じゃない。多分、楽しんで欲しいと思っている。ひしひしと伝わってくる。
だからと言って「楽しまなければならない」ということでもなく、勝手に楽しくなるのだから余計なことを考えなくていいということだ。(逆に余計なことが頭を掠めたら自由に考えれば良いし。それも含めてゆるく楽しく!) 
自動的に楽しめなくなった時点で、好きと感じなくなった時点で、他界すればいいのだ。でも今私は楽しいし好きだから本能的に応援する。そういう仕組みをほんのり意識して、あとは気の向くままにテキトーにモノノフをやっていく方が、きっと私に向いている。ももクロちゃんを見るからには成長しなきゃ、還元しなきゃ、とは少しも思わなくて良いんだよと、自分を許してみようと思う。
例えあなたがどんなにクズでも、好きなんだったら自由に応援しなよと。

この文章自体、まだ自己啓発的なのだろうか。でもしょうがない。「好きなことして生きよう」と思いついたなら、余計に人生観とモノノフ観はセットだ。ももクロちゃんが好きだから。
一気に意識は変わらないかもしれないから、少しずつゆるくシフトしていこうと思う。

富士見へ緑を飾る

埼玉県が誇るスーパーアイドル杏果が、富士見市PR大使に任命された。その委嘱式の第2部として「幕が上がる」の上映会と杏果&平田オリザさんによる舞台挨拶が行われるということで、富士見市へ赴いた。というか奇跡的にチケットを譲って頂いた(本当にありがとう)。

東上線に揺られながら、こちらの方面には良い思い出しかないな~とニヤけた。杏果の故郷ふじみ野を訪問したこと。路線は違うけれど、春日部へ杏果の舞台挨拶を見に行ったこと。個人的には、友達とみずほ台なんかで遊んだこと。全部楽しい思い出だ。
今日もまた楽しい思い出にはなるのだろうけれど、春日部の時のように間近で見られる機会はないだろうなと、なんとなく思っていた。遠くに見える小さな杏果とオリザさんのお声を聞いて、満足してそそくさと帰る自分の姿が目に浮かんだ。

そうして初めて鶴瀬駅に降り立ち、ららぽーと富士見に初上陸しひとまず休憩。頃合いを見て会場の富士見市民文化会館キラリ☆ふじみへ向かった。
杏果がかつて利用していたという施設。幼き日の杏果を思い浮かべながら、綺麗な建物や池、公園を眺めた。5月になったばかりだというのに灼熱の陽気で、Tシャツがグショグショになる。でもこの待機列の先に杏果がいると思えば、なんてことはない。

ようやく開場し、列が動き始めた。自由席であるため入った瞬間に咄嗟の判断で動かなくてはならない。さあどうする・・・と思っていたが。
ホールに飛び込み、言葉を失った。
近い。
狭い。
想像の何倍も小さい会場で、けれども案外横幅はあったため前方が埋まる速度は遅く、かなり前方の空席に滑り込むことが出来た。
嘘でしょ。
予想外の近さに鳥肌が立った。そこに杏果が来るのか、と考えただけで死にそうになる。こんなに小さな箱で杏果を見ていいのか。春日部の舞台挨拶の時よりもずっと近い。

ドキドキしながら、まずは幕が上がるの上映に臨んだ。
杏ノフだらけの会場で幕を上げるのは春日部ぶりで、なんだか不思議な気持ちになった。すごく心地が良い。
私にとって幕が上がるは何十回観ても毎度毎度違うことを考えさせられる特殊な映画なのだが、今回もまた新たな解釈が出来た。が、今そこは重要ではないため書かない。

とにかく涙を流しつつ感動して観終えた。余韻が強すぎて、杏果を迎えるテンションではなかった。これから杏果が出てくるとは信じ難かった。
一旦市のPR動画を挟んで、ついに舞台挨拶が始まる。
オリザさんが登場された。
・・・
・・・
近っ!!!
初オリザさん、近い。はっきりお顔が見える。うわあ、オリザさんだ。
杏果も、杏果も来るのか、この距離に。杏果が。杏果!

そしてオリザさんの紹介を受け、下手から杏果が出てきた。
うわあああああああああああああああ
杏果だああああああああああああああ
あああああああああああああああああ

最近よく見るドームトレックの衣装(白ネクタイと半ズボンと黒い靴下の、アレ)で、二つ結びの杏果。
本当に。
心から。
可愛い。

そこにいるのに、そこにいるのが信じられない。緑の衣装に包まれた可愛い可愛い杏果。靴下に付いているリボンがキラキラと輝いている。
ああ、杏果だ。

早速オリザさんとのトークが始まった。まずは二人の富士見市との関わり。オリザさんはキラリ☆ふじみの芸術監督を務めていたことがあり、杏果は富士見市に住んでいたことがある。そんな二人が幕が上がるを通して偶然知り合い、こんな舞台挨拶まで実現したのだと言う。

ここで問題が勃発した。今回の舞台挨拶全編を通して笑いを取った、富士見市ふじみ野市かという問題だ。
富士見市はよく隣接するふじみ野市と間違えられるが、今回は富士見市のイベントであるため敵対するふじみ野市の事柄に触れてはならない。しかし杏果が富士見市に住んでいたのは小4の頃までだったため、そもそも自分がどちらに住んでいたのかも鮮明ではなく、最初にオリザさんと富士見の話になった時はママに電話して聞いたというレベルなのだそう。そのため富士見市PR大使になったにも関わらず、富士見市でいいんですよね?とオリザさんに疑われていた。
プライズで登場した鶴瀬出身の川上マネージャーも交え、客席の富士見市民の質問を受けたりしながら富士見市での思い出を語って下さったわけだが、杏果には富士見市の場所かふじみ野市の場所かという区別は難しいようで、地名を挙げる際に一旦オリザさんに耳打ちして確認する場面が何度かあった。それが・・・物凄く可愛かった。きちんと富士見市の地名を挙げられて客席からOKのサインを貰った時の喜びようも実に可愛かった。

ディープな富士見談議に非市民としては正直ポカーンとなる場面もあったが、「ああ!行ったことある!」「ああ~あった~」という風に懐かしの施設名に声を上げる杏果が楽しそうでとにかく可愛かった。私にとって唯一馴染み深かった「みずほ台」という単語を杏果が発した時には身を乗り出しそうになったが。
川上さんの行きつけの床屋さんが、昔杏果がオーディションやイベントの前に髪を整えに行っていたところだというエピソードなど、興味深い話も沢山あった。
質問コーナーでマイクを持って走る川上さんを「動けるデブ」と評したブラックな杏果も面白可愛かった。

そういうわけで、昔を振り返る杏果は可愛いな!昔の杏果を知れるのは面白いな!という舞台挨拶だったのだが、終盤に意外な展開が待っていた。
富士見市民からの質問コーナーで、最後にどうしてももう一人言わせてほしいと言って女性が立ったのだ。

覚えていますでしょうか、小学校の登校班で一緒だった○○と△△の母です。

これには会場も杏果も大変驚いた。
そのお母さんは「小学校の運動会で一人ずば抜けてキレキレのダンスを披露していた杏果が、今こうして活躍している姿を見て嬉しく思っていました、これからも応援します」といった旨を続けた。
運動会のダンスのくだりで照れて隠れようとする杏果はとてもとても可愛くて萌えたが、その時何故か涙が出てきた。周りは全然泣いていないのに泣くのはおかしいと思い耐えようとしたけれど、若干零れてしまった。思い込みかもしれないが杏果の目も潤んでいるように見えた。

昔を知っている人の元へ、大きくなった杏果が帰ってきた。育った地の大使として、立派になって戻ってきた。それを心から喜んでいる方がいる。ちゃんと見てくれている方がいる。
杏果にも、あのお母さんにも、本当に良かったねという気持ちで一杯になった。こんなことってあるんだ。良かったね、本当、良かったね。

あの会場は杏果が何度も驚くくらい沢山の杏ノフで埋まっていて、見渡す限りの緑が広がっていた。同じステージに立っていた幼い杏果には想像も出来なかった光景だろう。
小さい頃、富士見でのびやかに育ちつつ、様々な苦悩にもがき、未来の自分の姿など知らずに必死で頑張っていた女の子が、沢山の仲間を引き連れて帰ってきた。そんな彼女の人生の美しさ、シンデレラストーリーのヒロインのようなきらめきを、どこまでも愛しいと思った。

その上で、杏果はもっと綺麗なシナリオを書き足そうと決めていた。
来年もキラリ☆ふじみでイベントを出来るように頑張っていると川上さんが言った瞬間、
「歌いたいです」
とはっきり告げたのだ。音響の良いこのホールで歌いたい、と。
帰ってきたこの場所で、音楽を届けるという新たな夢を紡ぐ。
故郷へ錦を飾り、更なる錦を描く。
そんな彼女の姿を間近で見られただけで、今日来た甲斐がありすぎた。

そして楽しい時間はあっという間に終わりを迎える。
杏果は何度も嬉しそうに会場を見渡し、手を振り、可愛らしい笑顔を届け、写真撮影では可愛いぜーっと!を連発し、大好きですと言われたら「私も皆のこと大好きだよ」と返し、ブログ用の写真をせがみ、なんだかもう、本当にファンが好きなんだなと感じた。
「ここにいる皆さんは絶対7月3日来てください」と言い残し、最後まで可愛い笑顔で去っていった。

想像を遥かに超える可愛さと感動を摂取したため、終演後の多幸感が果てしなかった。好きだ。大好きだ。幸せだ。良かったね。そんなことがずーっと頭の中をぐるぐるぐるぐるしていた。
ぼやーっとした気分で会場を出ると、駐車場付近でモモノフが帰らずに留まっている。ここに来るのか、とピンと来て、とりあえず待った。
すると案外すぐに川上さんが出てきて、オリザさんも顔を覗かせた。
ちょっとドキドキする。

すると、ついにオシャレな私服の女性が姿を現した。一瞬分からなかったが紛れもなく杏果だ。ちょっと、あり得ないくらいに可愛い。
杏果は3方向くらいに散らばったモモノフの元へそれぞれ走って行って、笑顔で手を振り、記念写真に写っていた。私のいた方にも来てくれた。その時、まさに目の前に杏果がいた。
で、その杏果が・・・
びっくりするほど可愛かった。
もちろん先程までステージ上にいた杏果も可愛かったし、今まで間近で見た杏果も可愛かったし、本来であれば「やっぱり可愛い」ということになるのだろうが、今日のあの杏果は過去を凌駕する程の次元の違った可愛さを纏っていた。大勢のモモノフの前ではしゃぐような杏果・・・あんなに弾けた姿を生で見たのは初めてかもしれない。だからこそあんなに可愛かったのか。もうこの世のものとは思えない可愛さだったのだ。
杏果は車に乗り込み、開けられた窓から手を振りながら去っていった。と思ったらその先のポイントでもう一度モモノフに囲まれ、最後まで手を振って駆け抜けていった。地元の方がその光景を不思議そうに見ていたが、傍から見ればあの姿はまさしくスターそのものであったと思う。富士見を緑で染め上げるスーパースター。あの方が、有安杏果さんなんですと言って回りたかった。あれだけ愛されている人気者なんです、杏果は。

帰り道、私は幸せ以外の如何なる感情をも持てなかった。
杏果の人生という清らかな奇跡に、ファンとして携われることを心から誇りたいと思った。ありがたいと思った。杏果が生まれてきてくれたこと、同じ世に私が生まれてこれたこと、感謝してもしきれない。
これからも杏果を応援したいし、杏果の人生の輝きを追い続けたいし、私にとってそれは絶対に意味のある選択だと自信を持てる。
一方で、ほとんど同じだけ生きてきた自分の人生が輝いていないのは問題だ。だけれども、杏果がいれば頑張れると素直に思える。
杏果が好き、それだけで世界を変える。本当に好きなんだ。

まさか今日、こんなにも温かい気持ちになれるとは。あんなに近くで可愛さを堪能できるとは。ここまで最高の思い出を持って帰れるとは思っていなかった。春日部の帰り道にも似た幸せを噛みしめている。
永遠に、誰が何と言おうと、杏果が一番好きだ。
あと何度だろう、ありがとう杏色空。


☆杏果が通っていた床屋さん(多分)
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HMVに残してくれたサイン
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鹿目まどかと百田夏菜子

※「魔法少女まどか☆マギカ」の核心部分のネタバレを含みます。見たことがない方は、バイバイでさようなら。

もし、夏菜子がまどかだったら。
 
ももクロメンバーがリクエストに沿って歌のカバーを披露する生放送番組「坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT」。昨夜は有安杏果生誕祭をかけて「杏いろフォーク村」として放送された。
怒涛の杏いろセットリストが始まる前、あーりんが手に取ったお便りに描かれていたまどマギの絵を見たあの瞬間!叫んでしまいそうになった。息を呑む。まさか。
本当にそのまさか。主題歌の「コネクト」を歌うと言い出した。アニオタとして「まどマギ」ファンとして爆死寸前になった。分かるだろうか、好きなアニメの好きなアニソンを好きな子達が歌って下さる喜び・・・!
コネクトは2人組のClariSの歌。今夜は杏いろフォーク村だから、てっきりもう一人としていよいよ杏果が出てくるのだろうと待っていた。だからこそ爆死しかけたのだが、あーりんの口から告げられたのは「あやかなこ、あやか☆かなこ」だった。
 
夏菜子・・・?
正直夏菜子にアニソンのイメージがなかった。あやかなこといえばROCK OVER JAPANが記憶に新しいが、コネクトはああはいかないだろう、夏菜子はコネクト感なくないか、と一瞬怪訝に思いつつ、けれどもまあ大好きなコネクトをメンバーが歌うということで興奮しながら観た。

するとあやか☆かなこ、なかなか良い。合う。最高かよ!最高かよ!あのコネクトが、この子達の声で!最高!とノリノリで聴いていた。
 
が、すぐにそうはいかなくなった。
 
 
コネクトという歌は、魔法少女まどか☆マギカの内容にかなり即した歌詞になっている。
この歌を聴けばたちまちテレビアニメのオープニングがふぁーっと脳裏に映り、鹿目まどか暁美ほむらの姿が目に浮かび、二人の物語が走馬灯のように心を駆け巡り、堪らない切なさが魂を締め付ける。そういう歌だ。
そういう歌が、いつも耳にしているももクロのあーりんと夏菜子の歌声で紡がれていく。
 
「閉ざされた扉開けよう」
「難しい道で立ち止まっても空はきれいな青さでいつも待っててくれる」
「振り返れば仲間がいて気がつけば優しく包まれてた」
「唯一信じられるここが救いだった」
「この声が届くのならきっと奇跡はおこせるだろう」
 
特にこの辺りの歌詞、モノノフならば感じるものがあるのではなかろうか。
その言葉は確かにまどマギの物語で、だけれどそこに響いていたのは紛れもなくももクロの物語だった。
 
気が付けば私には見えていた。そこにいるのはほむらとまどか。
切羽詰まったように強く歌い上げるあーりんと、切なさを含ませながらも笑顔でのびのびと歌う夏菜子。二人の全力が詰め込まれたコネクトに、確かに二人の魔法少女が憑依していた。
 
最初はどちらがどちらだろう?と考えてしまったが、だんだんと夏菜子の笑顔がまどかの笑顔に重なって見えてきて仕方がなかった。
逆だと感じた視聴者もいるかもしれない。ただ私の目から見て、あーりんがほむらかどうかは分からないけれど、とにかく夏菜子がまどかだったのだ。
そう思って観ていたら涙を抑えきれなくなった。好きなアニソンをノリノリで楽しむようなテンションは消え去った。
 
もし、夏菜子がまどかだったら。
彼女の歌う姿ひとつひとつにそんな想像を強いられた。鋭利な刃物に等しい想像だ。
一言でいえば、まどかは、自己犠牲によって全ての魔法少女を救った。もし、夏菜子がまどかだったら、まどかと同じことを願うだろうか?

・・・願うのではないだろうか。悟りきったような笑顔で歌う夏菜子は、そう思わせる何かを纏っていた。澄んだ魂に強い覚悟を被せたような歌声は、女神にもなれそうな神秘性を孕んでいた。
夏菜子ならば、まどかと同じ道を選び、魔法少女を救う。そして円環の理になる。神話のようなその姿を、違和感なく想像することが出来てしまった。


 
涙を流しながら二人のコネクトを観終えた時には、もう呆然とするしかなかった。
一日経った今も余韻が残っている。ずっと考えてしまう。もし、夏菜子がまどかだったら。

コネクトを観ている際中はただただ感覚的に重ねて泣いていたから、今度は色々考えてみようと思う。
(実はまどマギの話の詳細をだいぶ忘れてしまっていたため、改めて調べて思い出した。)
 
夏菜子がまどかだったら、まどかと同じ方法を取るにせよ違う方法を見つけるにせよ、全ての魔法少女を救うだろう。
昔の、新幹線で一人泣いていた頃の夏菜子であれば、まどかのように自己を犠牲にすることを厭わなかっただろう。けれど今、笑顔の天下を目指して先頭を走っている夏菜子ならば、自己を犠牲にすることのない、まどかを超越する願いを編み出すことも出来るのではないかと思わされる。
ただ、まどかは魔法少女が笑顔でいられるように、とあの結末を選んだ。それはとても、とても夏菜子らしいような気がする。
 
まどマギの世界ではなく、現実世界だったら。
つまりこの世界が、"全てのアイドルが誰かの陰謀のために利用され、絶望の悲劇に追いやられ続けてきた世界"だったとしたら。それを知った夏菜子は、自分の存在がなかったことになるとしても、概念に成り果て円環の理として在り続けなければならないとしても、それでも過去・現在・未来に存在する全てのアイドルを救おうとするだろうか。全てのアイドルがアイドルとして抱いた希望を守り、笑顔でいるためならば、静かに自らを捧げるだろうか。お母さんの記憶から消し去られ、親友と永久に別れることになると分かっていて、それでも一人で儚く消えていくだろうか。
物凄く切なくて、だからこそこの命題は鋭利な刃物のようなのだけれど、やっぱり夏菜子はそれでも全てのアイドルを救うとしか考えられない。

夏菜子がまどかじみて見えるのには、元々強大な力を持つ子ではなかったという側面も関係しているだろう。
まどかには当初非凡な素質などなかったが、ほむらの行動の結果、世界のあらゆる因果の中心を背負うまでになった。
夏菜子も普通の女の子でしかなかったが、五人のセンター兼リーダーとしてペンライトの海のど真ん中に立ち続けることにより、そして本人が努力して築いた人格をモノノフがカリスマとして祀り上げることにより、強大なオーラを纏うようになったのではないか。

こうして想像を積み上げていくと分かる。夏菜子はまどかではないが、まどかに重ね合わせた時にしっくりくる。彼女がまどかであってもおかしくない。
言い換えれば、夏菜子のようなアニメキャラが存在し、まどかのような神話を生み出しても、おかしくない。
現実の少女である夏菜子が、都合良く生み出されるきれいなアニメキャラのように、神話を押し付けられても違和感を生まない存在として生きている。
元々アイドルアニメや少年漫画でならば簡単に主役を張れるだろうと思っていたが、神聖さを帯びたファンタジーですら主人公になり得るとは。

つまるところ、夏菜子がまどかに似ていて云々という話ではなく、百田夏菜子が、二次元で生み出されるような奇跡を三次元においてほぼ最高に近い形で体現している稀少な、もしくはいっそ唯一の人間なのではないかという結論が出る。だからこそ二次元の奇跡である鹿目まどかとのシンクロも可能になるのではないか。

もしかしたら私は、そんな夏菜子の特質に惹かれてアニオタからモノノフになったのではないかとすら思う。

この文章をまどかファンが読んだら、何を言っているのだと鼻で笑うかもしれない。
私としても、鹿目まどかほどの存在が現実に存在するとは信じられない。
でもモノノフからすれば、百田夏菜子ほどの存在がアニメに存在するとは信じられないのだろう。
両方知っている人がコネクトを観て私と同じことを感じたか全く違うことを感じたかは分からないけれど、鹿目まどか百田夏菜子を並べられたら何かしら心がざわつくだろうとは思う。

あーりんに関しては、まどかが夏菜子であった場合、夏菜子ちゃんのために必死で動くだろうという意味ではほむらのように見えた。まどかがれにちゃんであってもそうするだろう。
しおりんか杏果がほむらであった場合も、夏菜子のためにほむらと同じことをするだろう。とくにしおりんは、最早ほむらそのものだ。
皆純粋であるが故に、アニメの中の少女像を当てはめやすいのだろうか。まどかとほむらの濃密な関係性が、ももクロ内の各人の関係性に近いものを有しているのだろうか。それとも全ては夏菜子に由来するのだろうか。

そうこう考えるうちに、今、猛烈にまどマギを全話観返したい欲に駆られるが、どうだろう。勇気が出ない。最初からまどかに夏菜子を重ねて観たらいよいよどんな気持ちになってしまうか分からない。
とりあえず、昔観たまどマギの記憶と昨日(0時を回ったため正確には一昨日だが)観たコネクトの記憶で書けるのはここまでだ。

大した話でもない。
まどマギを知らない人からすれば、昨夜のコネクトは単に「アニソンをかっこよく歌っていた」「魔法少女あやか☆かなこ可愛かった」というだけなのだろうが、私にとっては心臓を貫かれるような名演であったという、それだけのことだ。

杏果推し失格

ももかがブログを更新しました。この文字列にはいつもボルテージをMAXにさせられるが、3月15日に見ると更に格別だ。光の速さで充電所に飛び込む。

「9年前にもらったプレゼントをこれからも」

なんのことだろう。物凄くドキドキしながら読み進めた。

有安杏果はね」

その先を読んで・・・視界がぼやけた。

そして、
霧が晴れた。


昨日一日中杏果のことを考えていた。杏果の歌を聴いていた。生誕ツイートを眺めたり、とりとめもなく呟いたり。今年は会うことは出来なかったけれど、楽しくのんびり生誕祭を過ごした。
でもどうしてか、常に違和感があった。
杏果ってこういう人だったっけ。私は杏果のことをこういう風に思っていたっけ。前はもっと違った気がする。なんだろう。なんでだろう。
確かに「好き」という気持ちはあるのだけれど、こんな風な「好き」だったっけ。生誕ツイートとはいうけれど、昔の私はこんなことを書いていたっけ。
ぼんやりと、けれどもはっきりとおかしさを感じていた。


有安杏果はね」

杏果は、そんな私に答えを届けてくれた。

9年前の喉の手術。声。夢。奇跡。

涙が溢れると同時に、ハッとした。

私は今日一度でも9年前の手術のことを思い出しただろうか。
それだけじゃない。杏果が数多の苦労の末にももクロに入り、屈辱を受けても努力の末に認められ、それから幾度も壁を壊した末に今があるということ。

なんてこった。
すっかり忘れていたじゃないか。

私が昨日、というかここしばらく抱いていた杏果への思いはざっくりこうだ。
杏果は好きなことを尋常ではない程頑張っていて、その姿はとてもイキイキしている。私はそんな杏果の生き様に憧憬を抱き、そんな杏果の歌声に心酔している。とはいえタワレコで私服の杏果を見た時思ったように杏果は私と同じ人間で、だから崇拝や信仰の対象というよりは尊敬できる仲間という感じ。いつだって無条件に大好きだし愛してる。これからも杏果と一緒に歩んでいきたい。

それな。確かにそうだ。それは今も嘘じゃない。でもそれでは違和感があってもやもやしていたのだ。
やっと分かった。
抜けていたんだ。
杏果がどれだけの苦難の果てにそこにいるのかということを、全然意識していなかった。
最近の杏果はソロコンも決まって絶好調で楽しそうだしかっこよすぎるから、その印象ばかりに目を向けていた。
夢を叶えていく杏果の笑顔も、私の心を世界一掴んでくれる歌唱も、当たり前のように受け入れていた。
今の杏果の中にも決して消えることなく在り続ける過去の軌跡。それら全てに対する感謝が、抜けていたんだ。

杏果を好きになりたての頃、彼女の長い努力の歴史に惹かれていたし、そこに感謝の念があった。あの感覚こそが私の杏果推しとしての根幹だった。好きになった理由と言い換えてもいい。
要は今の杏果を尊敬しすぎて、過去の杏果を忘れ、根幹を見失っていた。それはそれで杏果の進化が凄い証拠としてはいいのかもしれない。でも私自身はダメだ。だって、
今の杏果と未来の杏果のことばかり称えて背中を追うけれど、杏果がここにいてくれることに対する感謝を忘れているのでは、もうなんというか、失格じゃないか。

杏果の声が出ること。
杏果が人前で歌えること。
杏果が夢を叶えていくこと。
杏果はそれを「奇跡」と書いた。杏果が大切にしている「奇跡」という言葉を使う価値があるからこそそう書くのだろう。
決してそれを「当然」として流すようなことはしない。杏果の中には幼い頃の杏果が、今までの杏果がちゃんといる。

なのに私は・・・
噛みしめていただろうか。「奇跡」を。お誕生日だからこそ噛みしめるはずなんじゃないのか。
杏果の好きなところといえばそういう面を必ず挙げていたのに、今まではちゃんと感謝していたのに。こんなの、杏果に出会ってからの4年半で初めてだ。
いつの間にか、私の杏果に対する「好き」の中で絶対に忘れてはいけないはずのものが抜け落ちていたのだ。そりゃあ違和感があるはずだ。

手術をしてあの声を手に入れてくれた杏果、子役時代やEXPG時代に悔しい思いも沢山した杏果、やっと入ったグループの解散を誕生日に告げられた杏果、ももクロに入ったことを散々非難された杏果、それでも必死で努力して認められた杏果、アイドル活動の傍ら勉強もきちんとしていた杏果、米子の夜に脱皮を決意した杏果、歌えない喋れない数か月を乗り越えた杏果、リスクを恐れず扁桃腺を切った杏果・・・
全ての杏果にありがとう。
私が今杏果の歌を好きなだけ聴いて好きなだけ杏果を尊敬することが出来るのは、今までの杏果がたくさんのことを乗り越えてきてくれたおかげだ。
当たり前じゃない。ありがとう。

そんなことも見失っていた昨日までの私は本当に恥ずかしいし信じられない。
杏果、ありがとう。ももパワーで霧が晴れたよ。

杏果がどれだけ進化しても変わらない部分が必ずあるように、私にも杏果推しとして変わってはいけない部分があるのだ。
泣きながら積み上げてきた過去こそが今の杏果に繋がっている。杏果がここにいてくれることはなによりも感謝すべき奇跡なのだ。その気持ちをなくしてはならない。
ありがとうが欠けたら何も始まらない。称賛や尊敬だけでは何もプレゼントできない。
だからもう絶対に見失ったりしない。

杏果が勝ち取ってくれた奇跡を軽んじたりしない。

これからは、ありがとうを目一杯伝えようと思う。
21年間の杏果の全てを含んだ、21歳の杏果に。

※ネタバレ 初聴き感想

AMARANTHUS/白金の夜明けを初めて聴き終わった私の感想
20:20 2016.2.16

聴き終わった!終わった!電気をつけた。聴き込む前に、初めて聴いたたった一度の今の感想を未来の自分に告ぐ。

部屋を暗くして、歌詞カードだけをライトで照らして、ビジュアルを並べて、AMARANTHUS→白金の夜明けをぶっ通しで聴く。これが本当に正解だった。素晴らしい体験が出来た。

あっという間の、長い旅だった。
このCDのことが発表されてから随分経った。それから今日まで、今日のためだけに生きている節もあった。日々明かされていく細切れの情報の中で、私はどんなに凄い音楽が待っているんだろうと期待を育てて育てて抱えきれなくなっていった。

けれど待っていたのは音楽じゃない。音楽だけれど音楽じゃない。
きっと音楽史を変えるような凄い作品なんだろう!そんな期待をずっと抱いていた。
でもこれは、この2枚のアルバムは、芸術?世界?もっと何か、生命を超越したなにか、地球を包み込むようななにか、だった。
物凄い感情なう。なんだろうこれ。
旅を終えたような心地よい、けれど強烈な後味。
そうかこれは、旅、だ。
いのちを巡る旅。人生と宇宙を超越した輪廻の旅。


まずはAMARANTHUS。
以下語彙力消失。率直な感情。深く書かない。

embryo-prologue-
これはまさに生まれる感じ。ああ生まれる前だ!そんな感情を引きずり出される。やばい。引き込まれる。

WE ARE BORN
やばい、この世に生まれた。うんうん、生まれた!

モノクロデッサン
これはやばい。めちゃめちゃいい。この曲は。まさにももいろクローバーZ。いい曲すぎやん。そうか、赤ちゃんの目にはモノクロの世界が見えてるわけだ。
「昔好きだった色」というフレーズに胸が詰まった。
人生、だなあ。

ゴリラパンチ
きたー!ラジオでの先行公開を我慢し、フルを初めて聴く。
・・・・・・
えっ・・・
杏果のAメロ・・・
あかん・・・
かっこよすぎる・・・
やばい、かっこよすぎる・・・これだ、私が杏果に歌って欲しかった歌だ・・・
おお、意外とキャッチ―なサビらへん
また杏果のAメロかっこよすぎる・・・
うわ、うまい・・・
やばい・・・
(繰り返し)

武陵桃源なかよし物語
きたー前山田~おかえり~
・・・
やべえ
やべえ、いいじゃん
マジおかえり、前山田健一さん。あなたの歌だね、これ。
まだまだ幼い青春って感じ?だからここなのか。

勝手に君に
フォーク村で聴いてはいたが、音源やべえな。
マー君・・・
いいね、これ。
なんぞこんないい曲なの。
学生の青春感ある。

青春賦
ここで学校行って卒業ね、
ももクロちゃん達も、私も、高校卒業したんだなあ。
ももクロちゃん、大人になっていくんだよなあ・・・しみじみ

サボテンとリボン
神前曲~!う、うおおおお?ノれるなにこれ、言葉の感じがめっちゃ耳にいい感じに入る。やばい。天才神前と天才只野が出会った。やばい。いい。かわいい。
ああ、ももクロちゃんも恋をしてしまうのか・・・

デモンストレーション
・・・
ななああああああんじゃああこれええええめええええっちゃいいいいいいいいい
やばいやばいやばいやばいやばい、はあ!?!?!?!?!?!?
ねえ、やばくね!?ちょっと!おいおいおいおいおいおいおいお

仏桑花
からのぶっそーげかよ!落差!
・・・
(涙を流す)
お母さんありがとう・・・
これ結婚式で流したい。

泣いてもいいんだよ
頑張る親、社会人って感じなあ。父の日のPV思い出すなあ。
「そりゃ」ってそこに書くもんだっけ?

Guns N’ Diamond
期待値最大のこの曲。唾をのむ。来るぞ・・・
・・・
・・・
やばい

かっけえかっけえかっけえっかっけえかっこいいいよおおおおおおおおおおおおおお
かっこいいかっこいいなにこれなにこれかっこいいやばいあああええええええええええええええええええ無理いいいいかっこいいいいい期待超えてるううううう

中高年の歌なのかこれ。かっこよすぎる。こんな大人になりてえ。
マジでこれナンバー1だな。

バイバイでさようなら
死の直前の歌。覚悟して聴く。
・・・
いい
パレードか、だからこの写真みんな楽器持ってパレードみたいなんだなるほどね。
ああ
終わっちゃう 人生が

HAPPY Re:BIRTHDAY
もう最後・・・もう死んじゃう・・・
ああそうかここがあの森か
ああ・・・
「あたたかいきみの手のひらの
感触をおもいだせないの」
私も、今朝触れた杏果の手のひらの感触を
死んだら忘れてしまうのかな
でも・・・
Re:BIRTHDAY
またうまれる いいな ああ またはじまる

そうして音が止まった。あっという間だったけれど、ながい人生を体験した気がした。
ここで呆然と余韻に浸りながらも一息ついて、白金の夜明けへ。

個のA、始まりのZ-prologue-
!!!!!!!!!!!!マジか、そういうことか、このメロディ
今ここって、死んでる?死後の世界みたい
「夢の世界」って言ってたけど、これは死後の世界なんじゃね。
ふわりふわりと。つづいてる。まだ続きが聴ける。

桃源郷
きましたナッキー!!もう聴いちゃったけど!
あでもこれ、このサウンド、あれ、やばい、なるほど、ここが、こういう世界か。
やっぱり死後って感じ。

白金の夜明け
もう何十回目だろうなあ。
この曲がここに入るのも、わかるなあ。なるほどなあ。

マホロバケーション
うえーーーーい!!!!キタ――(゚∀゚)――!はいはい踊ります。
ニ!ル!ヴァ!ー!ナ!
でもなるほどね、ここでマホロバなのね。

夢の浮世に咲いてみな
きました~久々に聴きたかった!うんうん
あれ・・・さあ君も一緒に~のところ
すごくストンと来る。今この世界の流れにぴったりだ。なるほど。終わらない熱狂始まる国へ。同じ世界が続いてる感じする。だからこの曲はこっちなんだ。

ROCK THE BOAT
期待値最大。ずっと楽しみだったこの曲・・・いくぞ
・・・
あやばい
これ
あかん
マジでかっけえ
えっ
いやしおりん、玉井詩織えろい
やばいこれ、マジでかっこいいやばい、やばい、勇気出る、なんやこれ。好きすぎるさすがっていうかこのページの歌詞の並びやべえ、全部期待値MAX組じゃんけえええ

希望の向こうへ
思い出される天龍。
やばい、れにちゃんさすが。
あっ
「この手のぬくもりは たしかだから」
さっき、私にぴったりですって言われたのは、そういうことか。
いやこのメロディーあかんやろ。なにこれ泣ける。マジでやばい。あかん・・・

カントリーローズ-時の旅人-
いよいよだ、一番期待してたこの曲。
・・・
およよ!?!?!
なんか東方っぽい東方感ある。最初こんなんなん?
おっおっ!??いいぞこれ、これは、おおおおおおお!
キタ――――――――!!!!!!!!!
うわうわうわ
東方っぽい!
これめっちゃいい、うん、予想と違うけどいい!
やばいやばいやばいそういう展開かよやべえよ。
というか分かってきた。今、地球を目指してるんだ。もう一度生まれる地球を。辛い道って「暗く狭い道」だったりして。

イマジネーション
出た。どうなる。
は、はああああああああそういう展開いいいいいいいなんこれ!!!
文学すぎる。マジかよお前ら!そうなる!
これ、すげえよ、あんた、天才だな。

MOON PRIDE
からのこれね。さすがに分かる。完璧な展開だ。曲の繋がりやばい。

『Z』の誓い
わかった・・・。「星」だ。星とか地球とか故郷とかずっとある。やっぱりこれって死んだあと地球という故郷へ戻ってる話なのかも。
(今これを書いている時に気付いたが、そうなるとムンプラの「この広い宇宙で 何度生まれ変わっても」って実は物凄く作品の芯になる歌詞に見える)

愛を継ぐもの
これも期待値高い。
・・・
やられた。
前山田健一、あんたはなぜそうやって一番いい曲ばかりをくれるのか。
すごいよ。作曲だけじゃない、詞もやばいこれ。この発想はないよ。
そして後半のあーりんパートね。歌詞ね。分かるよ。そこ繋げるんだ。あんたって人はほんとうに・・・
両方のアルバムに提供して貰えて良かった。凄い。

もっ黒ニナル果て
(やっぱり本当の音程は低い・・・慣れよう)
なんだか意識が朦朧としてきた。ここはどこだ。もう終わっちゃうよ。
もうどこだかも分からない世界で、出会ったんだな。
なにもかももっ黒になっていく。

桃色空
フル期待。最後の最後の一曲だ。
・・・
・・・
スケールがやばい
うわ
もう
参りました。
セカイに溶け込んでる。はあ。
すごい歌詞だ。すごいボーカル。杏果・・・
そしてまた始まる。


聴き終わって思わず拍手した。
割と浅い感想しか書かなかったが、言葉に出来ない独特の空気を、ここではないどこかの、ももクロではない5人の紡ぐ旅を、存分に感じていた。これはもう言語化出来ない。聴いてくれ。

何もかもが完璧だった。どうして音楽でこんな世界を生み出せるんだろう。
これを作った大人の方々も、まさにその通りな歌声を載せたももクロちゃんも、凄すぎる。本当にももクロちゃんのアルバムなのか、これは。
5TH DIMENSIONの向こう側、GOUNNのさらに上、澄んだ世界を確かに感じた。
どうしてこんなことが出来るの。
でも今のももクロにしか出来ないことだと思った。
多分細かく考察していったらキリがない気がする。いくらでも深められる。だからその前に率直な今の感想をただただ書いておいた。
ただ、なぜジャケットのももクロちゃんの髪が長いのか、今ならなんとなく分かる気がする。言葉にはしないけれど。

これからこの2枚と共にどうやって生きていくんだろう。ももクロちゃんも、私も。
何も想像できない。今日をもってももクロちゃんは新しいももクロちゃんになったんだなあ。

ももクロを好きになって、この作品に出会えて、良かった。

2016年2月16日

杏果に会った。

都会に行く気はなかった。すぐ帰るつもりでコンタクトも入れず眼鏡で家を飛び出した。メイクもせず髪もボサボサのまま、とにかく一刻も早くAMARANTHUSと白金の夜明けを手に入れようと電車に飛び乗った。
しかし出鼻はくじかれた。開店と同時に入ったCDショップで「夕方入荷です」と言われ、咄嗟に都会へ出ようと判断した。新宿か渋谷か・・・迷った果てに乗り込んだ電車はとても混んでいて、失敗したと思った。とりあえずこの電車ならどちらへも行ける。どちらだ。でも、せっかく都会に出るなら渋谷PARCOの展覧会も見に行こう。
そう思った矢先、車体がガタリと揺れて止まった。
人身事故。運転見合わせ。イヤホンの向こうにそんな言葉が流れる。
ついてない、けれどまあこれでしばらくももクロが聴けるか・・・と、アルバムを取り込む前の最後のももクロ曲シャッフルを楽しんでいた。

アルバムはどこでどう買うか。それは最後まで悩んでいた。トレカを取るか、ポスターを取るか、通常版も買うか買わないか。けれど5TH DIMENSIONのフラゲ日に貰ったポスターの隣に貼りたい!とポスターを優先し、人に気兼ねなく貸すために通常版も買おう!と決め、渋谷TSUTAYAから渋谷タワーレコードへ行くルートを叩き出した。

電車も動き、やっとのことで渋谷。立ちっぱなしで遅延して苦労した分、感動もひとしおだなあと踊るように階段を駆け下りた。
まずはTSUTAYA。頭上にいくつも吊るされたポスターが誇らしい。迷わずに初回盤を2枚ゲット。やっと宝物を手に入れた気分で嬉しかった。

次はタワレコ。店の前でお目当ての抽選会が行われており、寒い中ありがたいなと感心。よく確認して通常版を間違いなく選んだ。店員さんに割と待たされた。でもなんだか丁寧でありがたい。店先の抽選所にお持ち下さい!はい知ってますと思いながら真っ直ぐ向かった。

その時、あれっ、と思った。
店先に出るためにドアを押したら、目の前に女性が・・・古ちゃんがいた。
いや、これは、フルちゃんだ。絶対そうだ。こうして密かにショップに足を運ぶのもお仕事なのか、いや、プライベート?と思ううちに行ってしまった。
話しかければ良かったという鈍い後悔の中、まあ古ちゃんだしいいか(失礼!)と気を取り直して抽選へ。

ガラガラと福引のようなアレを回す。当たるか、当たるか!?出た玉は2つとも白。大当たりは叶わず。
しかしポスター2本を貰って大変満足した。TSUTAYAのポスターも合わせて3本。物凄くウキウキしながら速攻で帰ろうとした。

都会に来る気はなかった。早く家へ。CDを聴くために。帰ろうとした。渋谷駅へ戻ろう。振り返った。

そこに
川上さん・・・
あれ!?古ちゃんだけじゃない!?と0.1秒ほどで考えた。
考えながら信じられないことに気付いた。
彼の
隣に
いる
ひと

杏果

「え!?」

そこから先は鮮明ではない。彼女は買ってくれてありがとうとその場にいた数人に言ってくれた気がする。いや、私が言われたのか?でも私が貰ったポスターなどを見てくれていた気はする。
とにかく、目の前に、毎日毎日毎日愛してやまない私のヒロイン・有安杏果さんご本人が普通にいらっしゃった。
近くにいたモノノフさんにどうします、どうします、どうします、と言いながら呆然と眺めた。ナゴヤ行きます、ありがとう、というやりとりを聞きながら私は声を発することが出来なかった。

川上さんが先程まで私の抽選をしてくれていた店員さんに話しかけ、杏果と共に店に入っていった。一瞬躊躇ったけれど私も店に入った。杏果はももクロのパネルの隣に立って写真を撮られている。確かに彼女こそが有安杏果さんだった。

とにかく見つめ続けた。何度か目が合った。どうすればいいのか分からなかった。どうすれば目に焼き付くんだろう。どうしよう、どうしよう。
すると積極的なモノノフさんが握手を求めた。
私も、手を出した。
たしか、杏果推しです、と言いながら差し出した。

え?今、杏果と握手してね?私・・・
感無量というよりは、そんな感じだった。

案外さらっとその瞬間は終わった。
なんだこれ。
なんだこれ。
混乱の中、それでも確かに私の手は、杏果の手のあたたかさを感じた。
ふわっと包まれてあったかいと思った。その感覚だけが残った。数時間経った今も残っている。

本当に状況があやふやだけれど、多分その後杏果はパネルにサインをした。川上さんの背中越しに手元だけが見えて、ペン先が杏果の本物のサインを紡ぐ一部始終をこの目に入れてしまった。
買ったCDやポスターを持つ手が震えた。
杏果の持つペンがサインをするすると生み出していく様が、今まで見たどんな景色よりも泣けるものだった。何故だか分からないけれど、初めてそんな光景を見たから、本当に杏果だと思ったから、感動して胸が詰まった。

川上さんが撮っていいよ!とおっしゃったのを皮切りに、その場にいた人々はスマホをかざし始めた。えっ、ももクロ!?と驚く人がだんだん増えていった。
私のスマホのカメラは壊れている。
けれど普通のカメラなら持っている。一応カメラが趣味であるため、出かける前に一瞬迷って、すぐ帰るとはいえ出かける時は一応持っておこうと鞄に入れたミラーレス一眼。
躊躇いを振り切ってカメラを出し電源を入れた。と同時に充電のゲージが点滅し始めた。しまった充電してない、あと数秒しか持たない、それでも後姿をなんとか収め、最後の最後に杏果の顔を一応撮れた気がした。そして電源はあっけなく落ち、悔しいながらもあとは目に焼き付けようとガン見した。私だけが彼女を見ていた。

いつの間にか多くのお客さんに囲まれて杏果はびっくりしていた。多分(時系列が曖昧だが)その後AMARANTHUS・白金の夜明けコーナーを見て全然CDないね、と川上さんに話しかけたりしていた。私たちは「売れたんですよ!!」と口々に言った。それから店を出た杏果は何度もこちらに手を振ってくれて、川上さんと共にどこかへ行ってしまった。
後をつけることも出来ず、その背中を見えなくなるまで呆然と見送った。
古屋さんだけはいつもの車に乗り込んでいた。

とまあ、10分か15分くらいのご滞在だったと思う。

この感覚を未来永劫残すために、彼女を見た時の感覚を述べよう。
まず、意味が分からなかった。この場にいないはずの人が急に現れて平然といる。ツアー前ということもありまさかこんなところにももクロのメンバー、しかも杏果が来るとは全く想定していなかった。夢にまで見たゲリラ遭遇のはずなのに、現実味がなさすぎて、もしくは現実味がありすぎて、こんなもんかとすら思った。こんな簡単に夢が叶うのかと。心の中にいた異様に冷静な自分が「やべっ、ケチらないでコンタクトしてくればよかった最悪だブサイクだ見られたくない辛い」と真っ先に言っていた。

目の前の女の子が、そうか、本当に、杏果なんだ・・・と脳が理解してくれてからは、可愛いなと思った。私服風でメイクもほとんどしていない感じのかなりラフな杏果。たまに映像やブログの自撮りで見るあのまんまだった。ももクロの衣装を着ていない素の杏果。通りがかった人が驚くくらいに、遠くから見た限りでは普通の女の子といった感じだ。杏果って、普通に人間の女の子なんだ・・・私と同じなんだ・・・という初めて味わう感覚がとにかく不思議だった。

本当はもっとオギャ――――――――!!と大興奮な状況なはずなのに、どうしよう、どうしよう、いる、マジでいる、えっ、えっ、なんで!?という混乱でグシャグシャだった。この瞬間って、あとから振り返ると凄く羨ましいんだろうなあ、忘れたくないなあ、どうすれば忘れないんだろうと必死だった。

それだけ、夢にまで見た人が目の前にいるというのは異常事態なのだ。

杏果って、普通にいるんだ、来てくれるんだ、会えちゃうんだ、こんな渋谷で。ごめん、あの瞬間だけ私はあなたを、身近なお友達のように感じたよ。
でも名残惜しく背中を見送っている時には、私は一生あなたを推しますなんて強く誓っていた。

まとめるとわけのわからない体験だった。意図しなかったゲリラ、ゲリラ豪雨と同じようなものだなとも思う。傘をさす暇もなかった。
雨がやんで呆然としながらPARCOへ向かった。
さっきまで見ていた女の子の綺麗な写真が飾ってあった。
違う、杏果だけど、杏果はさっきの子で、と混乱した。正直それどころではなくてじっくり見ることも出来なかった。また来よう。

PARCOを出て今度こそ田舎に帰ろうと駅へ向かった。
信号待ちをしながらさっきのタワレコが遠巻きに見えた。
その時、古ちゃんが運転する白いワゴンがタワレコの前を離れた。
やがてこちらへ向かってきたスモーク張りの車体は、目の前の道路を颯爽と走り抜けていった。
最後の最後まで目が離せなかった。
いるはずのない妖精さんを連れてきてくれた奇跡。
ありがとう、がんばってね。
祈りを込めて見送った。

呆然に呆然を重ねてもはやどう歩いているのかも分からないような私は、電車に乗り込む前にメモとペンを買った。
杏果と握手した手をなるべく使わないように、指先で会計を済ます。
まずはスマホを取り出してツイッターを開いた。
こんなにもグギギな内容を呟いてしまったが、馴染みのフォロワーさんが祝福して下さってあたたかい。
返信をしていくうちに元々ほとんどなかったスマホの電源が切れてしまった。
電車に揺られながら今度は買ったメモ帖を開き、殴り書いた。私にしか読めない字だ。見返すと「強運?運命?どっちもだ」なんてデカデカと書かれていたりする。
すぐに書き留めて忘れたくなかった。

ここまで大仰なブログを書いておいてなんだが、私は既に一年前の2月24日、春日部の舞台挨拶の直前に杏果と初めて対面している。映画館のロビーで、押し寄せる杏果推しの中で私を見つめて、指先を指しながら口パクで「ネイル、ネイル」と私の緑のネイルを指摘してくれた杏果。
大号泣したけれどもうそんなに思い出せない奇跡だ。だから今日はとにかくまず書き残した。

あれから一年、また逢いたいと願った末に、本当に会えた。
わたしばかりずるい。
でももう、また逢いたいと思っている。

私にとって杏果は憧れの女性で、この世で一番尊敬する人で、誰よりも好きな歌声を聴かせてくれる歌手で、ももクロの推しメンのアイドルで、
なのに目の前にいると等身大の可愛い女の子だ。
なんなんだろうなあ、あの子。
もう分からないです。ただ、もっと好きになった。

時間かけてメイクでもしていたら、電車が止まらなかったら、貸す相手の目途がついて通常版も買おうと決めなかったら、地元のCDショップに朝から入荷されていたら、ポスターよりトレカを選んでいたら、渋谷ではなく新宿に行っていたら、店員さんがもっとキビキビしていたら、私は杏果に会えなかった。いくつもの選択が私を導いた。
なんか、私はあの子を推し続けるしかない。

ふらふらと辿り着いた我が家で、親に感動を捲し立てた。
そしてすぐに写真を印刷してみた。それが、1枚とてもよく撮れていて・・・
自分のカメラで杏果を撮ってみたい、という長年の夢すら私は叶えてしまった。そのうち大きな台紙を買ってきてプリントして飾ろうと思う。

このブログを読んだ未来の私、この幸せをどうか忘れないで。
まだ今の私は聴いていないその2つのアルバムを聴くたび、どんな女の子が頑張って作ってくれたのか思い出せ。
ふわりと微笑んだ優しい姿を、ぎゅっと握ってくれた小さな手の温もりを、生涯の宝物にしてね。

人類のお布団

ももクロちゃんはあたたかい
何をしていたって、根底に必ずあたたかさを宿している
いつだってあたたかさをくれる
それはまるで冬のお布団のようだ

みんなそれぞれ日々の暮らしがある
一人一人に波乱万丈がある
寒空の下凍える一日もある
でも家に帰れば必ずお布団があって
それはずっとずっとそこに在って
あたたかさで私達を包んで
明日も生きる力を補給させてくれる

朝になればなかなか抜け出せないあたたかさ
そのまま一日中お布団に入っていられたら幸せだ
でも、寒い中頑張ってきた日の方が、あたたかさが沁みたりする

この世界には、お布団を知らない人もいる
そんな人だって、一度寒いところに来てお布団に入ってしまったら、自分で体感してしまったら、その瞬間、あたたかさの虜になるだろう

本当は誰だって、あたたかさを求めている
生まれた瞬間から、あたたかさを求めている

そんな矢先、ふわりと目の前に現れたももクロちゃんがとってもあたたかい人達だったから
毎日あたたかいままそこにいてくれるから
だからずっと一緒にいるんだ

今、寒い思いをして生きている人にこのあたたかさを教えてあげたい
今、ぬくぬくと生きている人にも、こんなにあたたかい素敵なお布団もありますよってこと、知ってもらいたい

たまにでも、たった一回でもいいから、沢山の人にももクロちゃんのあたたかさを味わってほしい
ももクロちゃんが人類のお布団になったら、世界ごとあたためてしまえそうだから

タキシード・ミラージュ

目の前に凛と立つ神々しいほど美しいしおりん

素顔の見えないメイクでも輝く笑顔のれにちゃん

百田夏菜子として圧倒的オーラを放つ夏菜

手負いながらも優しい眼差しで歌を届けるあーりん

可愛らしいツインテールを揺らしながら深いビブラートを響かせる杏果

ピアノのイントロ。心の奥底に今も揺蕩う大切な景色が蘇る。


2014年2月27日、MTV LIVE 2014 supported by SIDAX with LIVE DAM〜“美少女戦士セーラームーン”THE 20TH ANNIVERSARY MEMORIAL TRIBUTE~ 
に赴いた。
奇跡的に当選を果たしたZepp Tokyoでのライブだ。
MTVからの招待ハガキが届いたのがちょうど今通っている大学の合格発表と同じ日だったのだが、俄然招待ハガキの方に歓喜したのをよく覚えている。

3月15日の国立大会を控えつつ、受験後1年ぶりに会いに行くももクロちゃん、にして初のライブハウス現場。
何日も前からテンションが上がりすぎておかしくなりそうだった。

Chanでしか見たことのなかったZepp Tokyo
久々に見るカラフルな人々
国立で連番予定の友達と、淀んだ冬空の下、そわそわと語り合っていた。

整理番号は大して良くなかった。勝手もよく分からず、とにかく順番が来たら急いで会場に入った。すると最前ブロックの右側に案外まだ空きがある。
ステージのあまりの近さに目が眩み、最前ブロックへの挑戦を決めた。あの時の心拍数は恐ろしいほどのものだった。

いよいよ、ライブが始まった。
ステージ上に出てきたマントのおじさんが、近い!近すぎる!
まいんちゃんとしてずっと見ていた福原遥ちゃん、可愛い。突然出てきたなめこ、可愛い。曲に合わせてぴょんぴょん跳ねる「ぴょんぴょんぴょん」で地味に前に詰めていくモノノフ達。
しょこたん登場の圧縮に乗りグッと前へ出るモノノフ達。よく聞いていたアニソンに歓喜。熱い。顔がはっきり見える。可愛いすぎる。
堀江美都子さんをミッチー!と呼ぶモノノフ達。妙な団結感と高揚感の中、楽しく聴いていた。じりじり進みながら。
そしてマントのおじさんが最後の出演者の名を呼ぶ。


M O M O MOMOIRO CLOVER...

Zeppに響く魂の叫び
一気にドカンと圧縮が来た。一歩でも前に、一歩でも前に。通勤電車のような圧力。訳が分からないくらい力一杯叫んだけれど、自分の声が全然聞こえない。
気がつくと最前ブロックしおりん前の6列目くらいにはいたと思う。

鳴り止むoverture
ついに、ついに姿を現した最愛の5人

私は初めて至近距離でももクロちゃんを見た。

そこから先のことは、余りにも夢のようで判然としない。
けれど、とにかく目の前に立つ玉井詩織さんが、人間とは思えないほど美しかったことはかなりはっきり覚えている。
初めて間近で見る杏果のあまりの可愛さに失神しかけたことも。
骨折中のあーりんは頑張っていて可愛かったし、月野うさぎメイクを施したれにちゃんはそれでも可愛かったし、本物の夏菜子はとにかく可愛かった。
ももクロちゃんはこんなにも可愛いのかという衝撃だけは、ありありと胸に刻まれている。

1曲目、ずっと惚れ込んでいたムーンライト伝説はやはり素晴らしかった。推され隊・りんりんの美しいハモりと張り上げる夏菜子、作り込まれた滑らかなダンスに魅了される。

2曲目は、まさかの猛烈。イントロと共に猛烈なモッシュ。何度も何度も映像で見てきたダンスが目の前で繰り広げられている。歌はもちろんのこと、「星の子供が...」「僕は君のことを...」パートの後ろで4人が目を合わせながら踊るあの大好きなところが間近で見られて、感動が湧き上がった。

3曲目、まさかすぎるBelieve。死んだと思った。
のちに公開された映像でカットされたこともあり、もうほとんど記憶がない。死んでいたのかもしれない。
ただ、「ラップが凄かった!」という書き残しを発見したため、ももラップあやラップでぶち上がったことは想像出来る。

4曲目、フォーメーションを見て全身が叫んだ。まさか!一番大好きで一番思い入れのある、私の神的存在、ピンキージョーンズ
脳が絶頂していたと思う。
この頃には前から3、4列目くらいに詰められていた。連番相手とはとうにはぐれた。ペットボトルを落とした。正直前の人達の隙間からチラチラと見る感じで、時に隣の人の腕で耳が塞がれた。呼吸もままならない圧縮地獄。そこに響いた、今まで何度も何度も助けられてきたあのフレーズ

逆境こそがチャンスだぜぃ!

今ここにいる私がまさにそうだと思った。
極限状態で揉まれる、この逆境に飛び込んだからこそ、目の前の5人のきらめきを間近で拝めるのだと。
逆境こそがチャンスという言葉が、あれほど染み込んだことはない。

そして、ラスト1曲。
MCも挟んでいたが、たった5曲なのに結構長く感じた。一瞬が永遠のように。

このライブで初めて聴くためにあえて音源を聴かずにいた、タキシード・ミラージュ。
ライブハウスの最前線でバラードを堪能出来るなど、夢のようだった。
一人一人が丁寧に歌い上げる。みんなの表情が美しくて、みんなの歌声がしっとりと心を包み込む。しおりんが。れにちゃんが。夏菜子が。あーりんが。
そして

ナミダが星になっても
回転木馬きえても
おねがいよ キスを やめないで

目の前で杏果のバラードを聴く、夢にまで見た瞬間。
優しく紡がれる綺麗な情景、美しく切なげな表情、最後にしっかりと心を貫くビブラート。
感動だとか、そんな言葉じゃ言い表せない。何も言えない。幸福の極み。

あの感覚だけは忘れない。
あの日あの場所にいたことを忘れない。
私はずっといつまでもついていく。永遠にモノノフでいたい。
そうまで思わせたタキシード・ミラージュだった。


あの楽しく感動的だったセラムンライブから1年、月刊TAKAHASHIなる定期公演が始まった。
グリーンドームでの12月号は当たったもののZeppでの公演は当たらず、再びライブハウスで彼女達のライブを見ることは叶わなかった。
代わりに、映画館へよく通うようになった。

そんな中突然開催されたありやスクリーン。
杏果だけを映す、夢のライブビューイング。
あれから今日で一週間になる。

一面の緑の中で見えたのは、たくさんの可愛い杏果、かっこいい杏果。舞台裏も含めてとにかく杏果。笑顔も真剣な顔も後ろ姿も、杏果パラダイス。
と思ってウハウハしていたら、ありがとうのプレゼントと白い風の圧倒的な歌唱にノックアウトされる。そんなありやスクリーン。
最も期待していたロマンティックこんがらがってるが来て舞い上がったが、期待を遥かに超える可愛らしさでそのまま天にぶっ飛んだ。
アンコール中のメイク直しまで見せてくれた。ここでも可愛すぎだ。アンコールが短く感じられる。そしていよいよ、客席のカメラに戻る。ぃよっしゃももクロ!さあ次の曲!その矢先。

ピアノのイントロ。
絶対に忘れられない、あの綺麗な旋律。
ペンライトの動きを止めて、固まってしまった。
フォーク村では一度見たものの、ライブではあの日以来聴いていなかった思い出の曲。

5人の声が響く。杏果は綺麗な表情をしている。
それがどうにもこうにも、あの日見た杏果に重なった。
記憶が引きずり出されていく。間近で見つめる杏果は、確かにこんな感じだった。
映画館にいながらにして、ここがZeppであるかのような気分だった。

そして杏果がマイクを持つ。
初めて聴いたあの日とは違って、もう何度も何度も何十回何百回聴いた歌。
積み重なった思い出の深み、遥かに高められた歌唱力、それはあの日とは違うけれど。
それでも、あの日と同じ響きを自分の中に感じた。

ありやスクリーンは単に楽しいイベントだったり、杏果を見たい人向けのサービスというだけではなかったのだ。少なくとも私は大きな可能性を感じた。
杏果だけを映すという夢のような非現実を具現化する試み、でも本当はそれこそが現実のライブに最も近いライブビューイングなのではないか。
カメラがあちらこちらをランダムに映していくのではなく、目線の対象を固定してじっくり見続けさせてくれる。
それは、ライブハウスの最前で杏果を見ているかのような錯覚を生む映像。現場の擬似体験として通常LVよりリアルだと思った。
きっとそれは現場の特権であった景色だが、今や小箱のチケットなどは激戦でしかないももクロなのだから、たまにはこうして敗者にお裾分けされてもいいのではないかと思ってしまう。あーりん版の話も出たが、是非またやってほしい。

ともかく、図らずもあの日のZeppの追体験をした最後の曲が終わり呆然と浸っていると、なんとそのままライブが終了した。曲数は変わらないとはいえ、アンコール後が一曲という初めての試みに一瞬拍子抜けした。
けれど、あの余韻を掻き消されることなくライブが終わってくれたのはありがたかった。

ただ、アンコール後一曲はともかく、タキシード・ミラージュでライブが終わるというのはあの日と同じだ。

セトリを組んだあーりんは、歌った5人は、思い出してくれていただろうか。
タキシード・ミラージュを響かせた、あの日のZepp Tokyoを。

ありやスクリーン、その前に。

あと数時間でありやスクリーンだ。

杏果推しとして気合いの入る現場(国立1日目、日産1日目、先日のGF・フォーク村…)には多々参加してきたが、本人が居ないにも関わらずここまで楽しみな行事は初めてである。
遠足の前日は眠れないもので、絶賛睡眠不足だ。構わない。帰ったら眠ればいい。アドレナリンでなんとかなる。だから今は眠るよりモチベーションを上げよう。

そういうわけで、杏果推しになった経緯を振り返ってみることにする。

そもそも初めてももクロを見た時(以前のブログ参照)、心惹かれたのは夏菜子だった。
けれど、舞台裏で泣く杏果の「もう一回みんなの顔が見たい・・・」に号泣してモノノフになったのも事実だ。あの瞬間から私の杏果推しとしての歴史は始まっていたのだろうか。                            
ともかく最初は夏菜子だった。夏菜子だけが抜群に光り輝いて見えた。

ももクロをよくよく見ていくうちに全員に魅力があることが分かった。なんとなくベースは箱推しを気取りつつ、新しい映像を見る度に違う子が気になって、毎週毎週推し変しているような状態になった。

順番はあまり覚えていないが、ももクリ2010の「…愛ですか?」を観てしばらくしおりん推しになったことは忘れられない。れにちゃんのことも長く推した時期があった。夏菜子を推す時期は定期的に訪れた。

推しを決め兼ねつつも、いつかライブに参戦する日までにははっきりさせようと意気込んでいた。極楽門の映像からモノノフになったことで「カラフルなTシャツ」に対する果てしない憧れがあったからだ。
そうして推しを決めよう決めようという目線でももクロを見ることに辟易することも多々あった。1人を選ぶことは4人を否定することではないか、と。それでもやっぱりあのカラフルの一つになってみたい・・・とこだわり続けてとりあえず落ち着いたのが、あーりんだった。

実は極楽門を見た時、ぶりっこのピンクだけは生理的に無理だ、と跳ね除けてしまっていたあーりん。それでもすぐに、あーりんは「あーりん」であって単なるぶりっこではないし誰よりもかっこよくてしっかりした子なのだ!と気が付き、反動で一気に好きになった。
あーりんは私の中の既存の「アイドル」像をばっさり塗り替えてくれた恩人だ。
一番年下なのに一番しっかりしたあーりんを、気が付けば尊敬し、ずっと目で追うようになっていた。

と、そこで記憶が途絶えている。

正直、その後どうしたのか、あーりんをどのようにいつまで想い続けていたのか、なによりももクロを知りたての頃杏果をどう思っていたのか、あまり覚えていない。

恐らくあーりんの次に好きな子、になっていた気がする。最初からかなり好きだった気もする。ブログは一番好きだなと、思っていた気がする。気がするだけな気もする。

でも、本当に、気が付いたら、杏果がいた。
ずっと私の心の中に、ももかくれされていたみたいに。

まず、杏果寄りの箱推し的な立ち位置になっていたと思う。
それから「緑を着るんだ」という決心をつけてくれたトリガーは、おそらくお台場フォーク村の「なごり雪」か女祭り2011のDVDのどちらかだった。多分。
はっきりしていることは、満を持して初参戦したももクリ2012には全身緑で臨んだということだ。
だから2012年の秋~冬、モノノフになって1年経つ頃に私は明確な杏果推しになったのではないかと考えている。

経緯を振り返ってみよう・・・などと大層な書き出しをしつつ、こんなふわっとした書き方しかできない。
確かになごり雪を観て、こんなに感情を込めて歌われたら惚れるしかない、という気持ちになったことも、女祭り2011を観てボロボロに泣いて杏果を推さねばと思ったことも本当だけれど、それは決意の再確認であった気もするし、なんだかもっと前から・・・

正確なきっかけが存在する必要も、思い出す必要もないのだが、どうして杏果推しになったのだろうと考えると不思議な心持ちになってしまうのだ。杏果の歌に惹かれましたとか、努力家な面に心打たれましたとか言うのは簡単だけれど、本当の始まりはなんだったのだろうと。
それとも私は「もう一回みんなの顔が見たい・・・」の時点で杏果推しだったのだろうか、いや、子供時代の私は土曜の朝6時前に起きてポンキッキーズ見てたよな、オカザイルも当時見たよな、あれ・・・なんて考え出すと思考がぐるぐる絡まっていく。

けれど。
潜在的に気になり出して、無意識で追って、気付かぬうちに杏果の姿が、言動が、文章が、ダンスが、歌声が、じわじわ、じわじわと染み込んで、脳が、心が、だんだん緑色を纏い始めて、意識がはっきりと杏果を捉えた頃にはもう、離れられなくなっていた・・・
なんていう解釈も、間違っていないと思う。アリだ。
実際に杏果推しの中にはこういう人も多い気がする。

なんだかそこに、結局言葉では表しきれない杏果の不思議なアイドル性があるように感じる。
不思議と目が離せなくなっていくメンバー。
どこまでも人間らしいのに、どこか妖精めいた女の子。
それが有安杏果さんなのではないか。


まあともかくそういういきさつがありつつ今はすっかり杏果推しとしてバリバリやっているという雑な結論で締めようと思うが、
さて、では。
なんとなく気になって目で追ってしまう有安杏果さん。
そんな彼女だけを強制的に見続けさせられるありやスクリーンを前に、人はどうなってしまうのでしょうか。
未来の自分が何を書くのか非常に楽しみである。

拝啓 天神様

三つの赤い橋を渡るあの子は、驚くほど緊張の面持ちで。
五人の肌を刺す気持ちの良い寒さが、画面越しにひんやりと伝わってきて。
息を吸うのすら阻まれるような、不思議な空間。
遥か離れた遠の朝廷、どこまでも神聖なあの場所に、私も確かにいた気がする。

普通は、お参りなんてたださっさっさっと祈るだけ。
でも彼女達はまず、自らをアイドルたらしめる沢山のモノノフを引き連れ、ずっとし続けてきた彼女達なりの芸能活動を示してみせた。
そして、ももいろクローバーZのことを歌う「灰とダイヤモンド」を、神様の目の前で、一本のピアノに乗せて、堂々と奉納した。
その上でしっかりと頭を下げた。

これだけ、これだけ誠意のある子達なんです。
どうか彼女達を芸能人として、ずっとお護り下さい

霧が晴れた向こう側
綺麗事だけじゃなかった
でもまけないよ どんなにすごい風や
砂にまかれても

彼女達の決意は、きっと伝わったことでしょう。
歴史に名を刻む道のりを、どうかお護り下さい。

未来の象徴としてのももクロちゃん

先程、一杯のコーヒーを飲み切った。
それから机の上を片付けて、ふと思い出したちいさなことをやっぱり書き残そうと、スマホを開いた。

このコーヒーは先月貰ったものだ。確か五つくらいドリップバッグが入っていて、これが最後のひとつ。
大切な方の葬儀で頂いた香典返しの、最後のひとつだった。

私は久しぶりに誰かを亡くした。いや、親族以外で大事な人を亡くすのは初めてだった。
詳しくは書かないが一時期お世話になった方で、まあなんというか、心から尊敬し、信仰に近い愛を持ってアイドルのように追っかけ回していた方だった。

急死の報せを受けてから、葬儀に出席し、しばらく経つまで...地獄のような日々だった。
もうはっきりとは思い出せないが、あんなに涙が流れ、胸が締め付けられ、ひたすらに辛く悲しく苦しい、というのは初めて味わう感覚だった。
ただひたすら「死」に向き合い、後悔と喪失感と絶望感にもがく日々。
とても自分の好きなことをして楽しむ気などにはなれず、そうすることが故人に申し訳ないと感じて、私はももクロを絶っていた。

その時はちょうど夏休みの終わり頃で、だからちょうど家で破滅していられた。
大学が始まると思うと嫌で嫌で嫌で、このままずっと泣いて閉じこもっていたかった。

新学期の一日目、死んだ目をしながら本当に頑張って大学まで辿り着いた。
誰にも会いたくなかった。あの人を知らない誰とも話をしたくなかった。けれど朝から友人と会わねばならない用事があって、仕方なしに待ち合わせていた。
相手がモノノフだったから、余計に気が重かった。楽しい話などしたくなかった。

なんとなく緊張気味で会い、本来の用事を済ませると、夏休み明けということもあってか「最近どう?」というような言葉を掛けられた。普段はそんなこと言わないのに。
じゃあ言ってしまおうと、「最近」のことをかいつまんで話した。
それを聞いてもらえて、共感して貰えて、なんだか少し気が楽になってしまって。淀んだ空気を変えようと、思わず自分からももクロの話題を振った。

この間の月刊TAKAHASHIのLVが最高だったこと。確かそこから始まって。
前橋当たった!とか、ももクリのBlu-ray早くね?とか、今年のももクリは、とか、今度のLVが、来年のツアーが、アルバムが、今後のあの子が、ああ、ライブ行きたい、早く現場行きたいなー!!!
と、話していて途中で気付いた。
全部、未来の話だと。

ももクロちゃんに意識を向けた途端、未来が楽しみだという感覚を思い出した。
今を犠牲にして過去の思い出に涙するばかりで、未来が見えていなかった。それが供養になると思っていた。いつまでもそうしていなければとうじうじ思っていた。でも。
久々にももクロちゃんのことを考えて、やっぱり元気が出た。気付いたらそんなことを言っていて、
こんな時だからこそでしょ!と返されたらば、そうだね!と明るく答える自分がいた。

ああ、これこそが本来の自分だと思った。
今のももクロちゃんを楽しみ、未来のももクロちゃんにワクワクしながら生きているのが私だった。
本来の自分を捨てて破滅した人生を送ってもあの人に呆れられるだけだろう。

そう気付いたから、どん底から舞い戻れた。前を向けたのだ。


最後のコーヒーを味わいながら、そんなことを思い出していた。

あれから新学期の大学になんとか順応し、徐々に気持ちを落ち着けていき、普通の精神状態に戻った。だから今生きている。
結局ももクロちゃんに救われた。もう何度目かも分からない。

今を全力で生きて未来へ向かっていく彼女達と、一緒になって走る。それがこれまでもこれからも私の核なのだと思う。
あの人を忘れるわけではないのだから、逆にあの人に教わったことを生かすために私はきっちり生きなければならなくて、そのために必要な存在がももクロちゃんなのだ。

なにより、ももクロちゃんは死んでいなくて、同じ世界に生きている。今彼女達に貰えるものはとても尊い、無駄にしてはいけないものなのだ。
いつの日にか別れなければならないのなら、同じ世にいられるうちは精一杯大切にしたい。

だからこのコーヒーを飲み終えたらもっと頑張ろう。
あの人のために、ももクロちゃんのために、自分のために。

そんな決意を込めて飲み干したコーヒーは、少しさみしいけれど、未来の味がした。

女性の希望としてのももいろクローバーZ

SMAPさんや嵐さんのように、長く愛され続ける女性アイドルグループに」
それはももいろクローバーZのビジョンとして度々語られることだ。
女性グループではそのような前例がない、だから私達がなるのだと。
それは時にとてつもなく大きな夢のように受け止められる。ファンの中にも半信半疑な人は少なからずいるだろう。

しかしよくよく考えてみるとどこかおかしな話ではないか。
そもそも何故、長く活躍し続ける男性アイドルグループが存在する一方で、女性には前例がないのか。
30代、40代の男性がキャーキャー言われている一方で、30代、40代の女性はババア扱いなのか?日本はロリコン社会か?過激なことを言えばこれは一種の女性差別が生む現象なのではないか?


男祭りの一件をきっかけにふと「女性団体」について考えた。あの件の焦点はまた別の問題にあったが、結果的に「女性団体」が「ももクロ」を非難する構図が好き勝手に報道されてしまった。
それを受けて色々と考えるうちに、本来ならば女性の権利を主張する人達にこそももクロは高く持ち上げられるべき存在ではないかと初めて気が付いた。

私はアイドルについても女性についても専門的な研究をしたことはない。だからこれは一介の一般人としての見解だが、そもそも女性アイドルが長く続かないのには、漠然と蔓延り続ける"女性の価値=若さ"という価値観の影響があるのではないだろうか。それが日本独自のことなのかそうでないのかは分からないが少なくとも日本ではそういう風潮を感じる。
だからこそ、女性アイドルが生き残るのは難しいのではないか。

そんな中で堂々と「SMAPさんや嵐さんのようになる!」と宣言するももクロは、そのような風潮、もっと言えば時に女性が弱者である社会そのものへの宣戦布告を行っているも同然なのではないか。
同時にももクロはそれを実現する要素を大きく持つ稀有なグループだと思える。

以前からモノノフはよく「ももクロは普通のアイドルとは違う」と言う。
それは総合的にももクロを既存のイメージのアイドルとして、少女として、性的対象として消費することが出来ないということの表れだと捉えても良いだろう。それを裏付けるようにももクロには老若男女のファンが付いている。
ももクロはアイドルでありながら新たな意味での"アイドル"を創り続けひた走る革新者なのだ。若い女の子が愛でられる(または性的に消費される)タイプのアイドルとは違う、人として尊敬される"ももクロ"というタイプのアイドルをしている。

だからそのももクロならば、年齢を重ねても男性アイドル同様に支持され続け、女性蔑視へのアンチテーゼを成立させることが普通に出来そうな気がする。
女性グループがいくつになっても老若男女に笑顔を届け続ける。そんなことすら困難であった社会に、大きな杭を打ち込めるかもしれない。
女性団体なんかは、尚更ももクロを支援したい立場なのではないか。
ももいろクローバーZは女性の希望の星なのではないか。

そう考えると、私はフェミニストではないが単純に同じ女性としてももクロちゃんをますます応援したくなった。
アイドルや芸能界という枠を超えて、女性として世界に大きな伝説を残せそうなももクロちゃんを。

一方で件の報道については余計に悲しくなったが、これから一人でも多くの女性がももクロちゃんの勇姿を目にしてくれることを願いたい。
いつかももクロちゃんは多くの女性に勇気を与える存在になるだろうから、横槍に挫けず胸を張って頑張っていって欲しいところだ。

杏果と歌

すぐ憶測で杏果の心を推し量ろうとするのはファンの悪いところではあるが、そうさせてしまうのが杏果の面白さでもある。
だからとりあえず思ったことを書いておく。

昨日更新された杏果のブログ。
一週間前から彼女を苦しませていた扁桃炎が完治したと明記されており安心したのも束の間、衝撃的な文章に心臓を突き刺された。

"マスク2重にして喋るのも控えて
お家では筆談で暮らしたりと
いろいろ頑張ってるはずなんだけどなぁ、、、"

初めて聞く話だった。杏果がポロッと零した嘆きのように感じられてなんだかゾクッとした。普段余りこういうことを言わない人だ。

マスク2重にして喋るのも控えて」というのは普通に想像してみても大分苦しいものだが、
家では関西弁でうるさいくらいに喋り続けるというあの杏果が、喉の治療中に喋れないことが辛いと言った杏果が、まさか「お家では筆談で暮らしたり」などしているとは...

確かに杏果は何度か大事な局面で体調を崩してしまった経験を持っているし、今も決して強すぎるわけではない喉を持っている。
反省や悔しさや申し訳なさ等を踏まえた上で徹底した管理をしようというのは自然な話なのだろうが、しかし、
そこまでしているとは思わなかった。
辛いだろう。正気の沙汰ではないと言えるほどのことをしているんじゃないか。

何のためにそこまでする?できる?
メンバーのため?
ファンのため?
まずそれは物凄く大きいものだろう。「もう迷惑や心配は掛けたくない」という気持ちを、大きすぎるまでに持っているであろうことは容易に想像がつく。

それでもやっぱり、それ以上に杏果が抱えている想いは
歌のため
だろうと、率直に感じた。

5日前、扁桃炎の治療中であるにも関わらず点滴の針を刺したまま生放送で鋭く歌い上げた姿を見て、杏果の歌への執念には十分驚かされていた。
振り返ってみても、もう十分上手くなりきったと思わせてもなお毎月毎月歌が上手くなる杏果、計画的に努力を重ねるスタンスだから壮大な未来のビジョンなど殆ど口にしないのに「一生マイクを持っていたい」という願いだけは何度も何度も繰り返す杏果だ。
歌うためならば、2重のマスクで呼吸が苦しくても、あまり喋れずに寂しくても、大好きな家で言葉を発せなくとも、仕方がないと、杏果はきっと思っている。
そこまで対策しても運悪く病に罹ってしまったのならば、その状態で出来る全てを尽くして、歌うのだ。

普通の歌手もそういうものなのだろうか。それは分からないけれど、少なくともアイドルとしては尋常ではない。
杏果が努力家であることも歌を愛していることも十分知っていたはずなのに、こちらの想像を遥かに超える場所に彼女はいたのだ。

きっと偉大な野球選手はいつも野球のことを考えているし、素晴らしい社長は会社のことばかり考えている。ノーベル賞を獲った科学者はいつも自分の研究のことを考えている。そんな領域で杏果は歌と共に生きているんじゃないか...
なんだか杏果の生き様が羨ましくすらなった。歌と出会い、歌への情熱が芽生え、そして今歌うことを本気で愛して真っ直ぐ向き合っている杏果は本当にキラキラ輝いている。
水面下にストイックすぎる努力があるとしても、歌っている杏果はとても幸せそうなのだ。歌う職業は杏果の天職なのだ。
なんだかあのブログの数行から、そんなことまで感じてしまった。(これだから杏果は面白い) 

だからもう風邪とか病気とかにしないでくれと、神がいるのなら願いたい。
いつだって笑顔で歌っていてほしい。
そして改めて有安杏果さんの歌を一生聴いていたいと思った。

まずは今年の紅白歌合戦で、杏果が元気に歌えますように。

2011年10月16日②

〜前回のあらすじ〜
テレ玉ももクロのライブやってる!ってなんやこれ〜


ステージにいたのはあの大嫌いなももクロ、ではなく悪の組織的なキャラクター。観客のカラフルなTシャツをモノクロに染め上げようとかなんとか。あのしばらく続く茶番は、特撮好きで本物のヒーローショーも見る自分の目には随分と陳腐に映っていたと記憶している。
そこにようやく現れたももいろクローバーZ。戦隊もどきのスーツにフルフェイスのヘルメット。お、おお...
メンバーが出てきても、特撮好きとしては見苦しい茶番が長々と続いているだけ。大きなヘルメットに不釣り合いな細すぎる身体、この子達何歳なんだろう、年下?てか、なんこれ?と思いつつ、なんとなくダラダラ見ていた。

ようやくやっとついにライブが始まった。と思ったら1曲目はあの大嫌いなCMソング。うっさ。アイドルもももクロもやっぱ苦手だわ。そんな感じで途中で鉄腕DASHに変えたりしながら、真面目に見なかった。

だから私は、7時半すぎくらいまではアンチももクロだったのだ。

そして運命の時がやってくる。

1曲目が終わり2曲目、明るく賑やかな1曲目とは打って変わってゴリゴリにかっこいいイントロが始まった。お?ちょっと目を奪われた。
"飼い馴らせない欲望を恥じるのなら..."
かっこよくて聴きやすい。ダンスもかっこいい。歌詞が、めっちゃいい。なんこれ... テロップの歌詞を追いながらまじまじと見ていた。そして...

"夢は迷うものでも迷わない ブレーキなんかいらない
ここは行っとけ 今だカッ飛べ アクセル ベタ踏みで行け
マイノリティーな弱気蹴散らす 鼓動はガチタテノリ
今日しかない気持ちで 勇気をためそう"

サビでもう完全に落ちてしまった。一瞬の出来事だった。
翌日アルバムを借りてきてからエンリピする運命にあるその曲は、CONTRADICTIONという。
テスト前でモヤモヤ病んでいる高校生の自分にはぶっ刺さりすぎる曲だった。まず歌詞が素晴らしい。曲が素晴らしい。「まだまだ諦めない」と感情的に歌う姿、激しいダンスもカッコよかった。

ももクロ、凄いのかもしれない。

初めは時々鉄腕DASHもチラ見しながら、最後はもうテレビ埼玉だけをじっくりと、見続けてしまった。
ももクロというより、そもそもアイドルやアーティストのライブ映像を見るという経験すらなかった自分には、初めて打ち込まれる刺激が多すぎた。
女の子が汗水垂らしながらアクロバティックに踊り舞う姿。
"福島の桃が大好きです!..."と東北に寄せた歌詞を涙目で届ける姿。
賑やかな曲を笑顔で演り終えた直後、切ない表情でバラードを歌い上げる姿。
ひとつひとつが感動的で、思わず涙が零れる場面もあった。さっきまであんなに嫌いだった「アイドル」の「ももクロ」に泣かされていることなど、どうでもよかった。プライドなんてなかった。

そして決定的な瞬間は、ライブ終了後の舞台裏の映像にあった。

ライブは終了しているのに、客席では鳴り止まないダブルアンコール。しかしもう会場の都合で本当に終わらなければならないようだった。そんな中、メンバーは泣いていた。

「もう一回出たい...もう一回みんなの顔が見たい...」

そう言ってわんわん泣く子がいた。その姿を見て自然と号泣しながら私の頭に浮かんだのは、ドラッカーの『マネジメント』で読んだ、「真摯さ」という言葉だった。
さっきまでの全力のライブは、本気でやりたくて、本当にお客さんに伝えたくて、やっていたんだなと、ふっと分かってしまった。仕事に対する物凄く真摯な姿勢が一瞬で分かってしまった。
この子達は何歳かは分からないが多分同い年辺りなのだろう。同世代の女の子が、こんなに真摯さを持って仕事をしている。その事実に驚きと感動と尊敬と、惨めさが湧いてきた。

そんな、日曜夜9時。

ももいろクローバーZのファンとしての第一歩を踏み出した10月16日だった。
もう4年も前のことになったが、あの放送後に残した日記を読み返したり、毎年思い出して書き記してきたおかげで、割と鮮明に覚えている。

あの時何故「ももクロ?見るかよそんなん」と、無視しなかったのだろう。訳わからん茶番や嫌いな1曲目の段階でチャンネルを回さなかったのだろう。
散々「運命だ」と結論付けてきたこの疑問に、4年の歳月を経た私の答えを書いてみると、「必然だった」という表現になるだろう。
あの時ああしてももクロに出会うのは必然だった。私の人生にはももクロちゃんが必要だった。今は自然と、そうとしか思えない。

ここまで来る道筋に何があったのか、4年前の私は知らないだろう。
まだ何も、知らないだろう。

2015年10月16日

2011年10月16日①

2011年10月16日

4年前の今日、私の人生は大きく変わることになった。
高校一年生のテスト前、勉強しなきゃと思いつつダラダラ病む日々の中の、とある日曜日だった。

その頃の私はももクロが嫌いだった。元々アイドルが嫌いだった私の目に入ってきたジョイポリスのCM。校内放送で流れるそのCMソング。あとはなんとなくテレビで見るような見ないような。私とももクロの接点といえばそんなもので、そんなものなのに私はなんだか「うざい、うるさい」と彼女達をアイドルの中でも最も忌み嫌うようになっていた。

今日も大して勉強出来なかったやばい、そんな鬱々とした気分でお風呂に入った日曜夜7時。とりあえずお風呂のテレビは鉄腕DASHでいいかと思いつつ、一応ぼんやりと番組表を見てみた。それが全ての始まりだった。
私の目に留まったのはあの憎らしきアイドルグループの名前だった。よく読むとライブ映像らしい。
その時私は、何故だろう、見てみたくなった。確かに嫌い嫌いと言ってはいたが、一度でも彼女達のライブを見たことがあっただろうか。どんなことをしているんだろう。気になった指先は恐る恐る3チャンネルを押していた。

画面に映し出されたのは、なるほどこれがアイドルのライブ...
ではなく、ヒーローショー気取りの寸劇だった。いや、なんこれ。

続く