鹿目まどかと百田夏菜子

※「魔法少女まどか☆マギカ」の核心部分のネタバレを含みます。見たことがない方は、バイバイでさようなら。

もし、夏菜子がまどかだったら。
 
ももクロメンバーがリクエストに沿って歌のカバーを披露する生放送番組「坂崎幸之助のももいろフォーク村NEXT」。昨夜は有安杏果生誕祭をかけて「杏いろフォーク村」として放送された。
怒涛の杏いろセットリストが始まる前、あーりんが手に取ったお便りに描かれていたまどマギの絵を見たあの瞬間!叫んでしまいそうになった。息を呑む。まさか。
本当にそのまさか。主題歌の「コネクト」を歌うと言い出した。アニオタとして「まどマギ」ファンとして爆死寸前になった。分かるだろうか、好きなアニメの好きなアニソンを好きな子達が歌って下さる喜び・・・!
コネクトは2人組のClariSの歌。今夜は杏いろフォーク村だから、てっきりもう一人としていよいよ杏果が出てくるのだろうと待っていた。だからこそ爆死しかけたのだが、あーりんの口から告げられたのは「あやかなこ、あやか☆かなこ」だった。
 
夏菜子・・・?
正直夏菜子にアニソンのイメージがなかった。あやかなこといえばROCK OVER JAPANが記憶に新しいが、コネクトはああはいかないだろう、夏菜子はコネクト感なくないか、と一瞬怪訝に思いつつ、けれどもまあ大好きなコネクトをメンバーが歌うということで興奮しながら観た。

するとあやか☆かなこ、なかなか良い。合う。最高かよ!最高かよ!あのコネクトが、この子達の声で!最高!とノリノリで聴いていた。
 
が、すぐにそうはいかなくなった。
 
 
コネクトという歌は、魔法少女まどか☆マギカの内容にかなり即した歌詞になっている。
この歌を聴けばたちまちテレビアニメのオープニングがふぁーっと脳裏に映り、鹿目まどか暁美ほむらの姿が目に浮かび、二人の物語が走馬灯のように心を駆け巡り、堪らない切なさが魂を締め付ける。そういう歌だ。
そういう歌が、いつも耳にしているももクロのあーりんと夏菜子の歌声で紡がれていく。
 
「閉ざされた扉開けよう」
「難しい道で立ち止まっても空はきれいな青さでいつも待っててくれる」
「振り返れば仲間がいて気がつけば優しく包まれてた」
「唯一信じられるここが救いだった」
「この声が届くのならきっと奇跡はおこせるだろう」
 
特にこの辺りの歌詞、モノノフならば感じるものがあるのではなかろうか。
その言葉は確かにまどマギの物語で、だけれどそこに響いていたのは紛れもなくももクロの物語だった。
 
気が付けば私には見えていた。そこにいるのはほむらとまどか。
切羽詰まったように強く歌い上げるあーりんと、切なさを含ませながらも笑顔でのびのびと歌う夏菜子。二人の全力が詰め込まれたコネクトに、確かに二人の魔法少女が憑依していた。
 
最初はどちらがどちらだろう?と考えてしまったが、だんだんと夏菜子の笑顔がまどかの笑顔に重なって見えてきて仕方がなかった。
逆だと感じた視聴者もいるかもしれない。ただ私の目から見て、あーりんがほむらかどうかは分からないけれど、とにかく夏菜子がまどかだったのだ。
そう思って観ていたら涙を抑えきれなくなった。好きなアニソンをノリノリで楽しむようなテンションは消え去った。
 
もし、夏菜子がまどかだったら。
彼女の歌う姿ひとつひとつにそんな想像を強いられた。鋭利な刃物に等しい想像だ。
一言でいえば、まどかは、自己犠牲によって全ての魔法少女を救った。もし、夏菜子がまどかだったら、まどかと同じことを願うだろうか?

・・・願うのではないだろうか。悟りきったような笑顔で歌う夏菜子は、そう思わせる何かを纏っていた。澄んだ魂に強い覚悟を被せたような歌声は、女神にもなれそうな神秘性を孕んでいた。
夏菜子ならば、まどかと同じ道を選び、魔法少女を救う。そして円環の理になる。神話のようなその姿を、違和感なく想像することが出来てしまった。


 
涙を流しながら二人のコネクトを観終えた時には、もう呆然とするしかなかった。
一日経った今も余韻が残っている。ずっと考えてしまう。もし、夏菜子がまどかだったら。

コネクトを観ている際中はただただ感覚的に重ねて泣いていたから、今度は色々考えてみようと思う。
(実はまどマギの話の詳細をだいぶ忘れてしまっていたため、改めて調べて思い出した。)
 
夏菜子がまどかだったら、まどかと同じ方法を取るにせよ違う方法を見つけるにせよ、全ての魔法少女を救うだろう。
昔の、新幹線で一人泣いていた頃の夏菜子であれば、まどかのように自己を犠牲にすることを厭わなかっただろう。けれど今、笑顔の天下を目指して先頭を走っている夏菜子ならば、自己を犠牲にすることのない、まどかを超越する願いを編み出すことも出来るのではないかと思わされる。
ただ、まどかは魔法少女が笑顔でいられるように、とあの結末を選んだ。それはとても、とても夏菜子らしいような気がする。
 
まどマギの世界ではなく、現実世界だったら。
つまりこの世界が、"全てのアイドルが誰かの陰謀のために利用され、絶望の悲劇に追いやられ続けてきた世界"だったとしたら。それを知った夏菜子は、自分の存在がなかったことになるとしても、概念に成り果て円環の理として在り続けなければならないとしても、それでも過去・現在・未来に存在する全てのアイドルを救おうとするだろうか。全てのアイドルがアイドルとして抱いた希望を守り、笑顔でいるためならば、静かに自らを捧げるだろうか。お母さんの記憶から消し去られ、親友と永久に別れることになると分かっていて、それでも一人で儚く消えていくだろうか。
物凄く切なくて、だからこそこの命題は鋭利な刃物のようなのだけれど、やっぱり夏菜子はそれでも全てのアイドルを救うとしか考えられない。

夏菜子がまどかじみて見えるのには、元々強大な力を持つ子ではなかったという側面も関係しているだろう。
まどかには当初非凡な素質などなかったが、ほむらの行動の結果、世界のあらゆる因果の中心を背負うまでになった。
夏菜子も普通の女の子でしかなかったが、五人のセンター兼リーダーとしてペンライトの海のど真ん中に立ち続けることにより、そして本人が努力して築いた人格をモノノフがカリスマとして祀り上げることにより、強大なオーラを纏うようになったのではないか。

こうして想像を積み上げていくと分かる。夏菜子はまどかではないが、まどかに重ね合わせた時にしっくりくる。彼女がまどかであってもおかしくない。
言い換えれば、夏菜子のようなアニメキャラが存在し、まどかのような神話を生み出しても、おかしくない。
現実の少女である夏菜子が、都合良く生み出されるきれいなアニメキャラのように、神話を押し付けられても違和感を生まない存在として生きている。
元々アイドルアニメや少年漫画でならば簡単に主役を張れるだろうと思っていたが、神聖さを帯びたファンタジーですら主人公になり得るとは。

つまるところ、夏菜子がまどかに似ていて云々という話ではなく、百田夏菜子が、二次元で生み出されるような奇跡を三次元においてほぼ最高に近い形で体現している稀少な、もしくはいっそ唯一の人間なのではないかという結論が出る。だからこそ二次元の奇跡である鹿目まどかとのシンクロも可能になるのではないか。

もしかしたら私は、そんな夏菜子の特質に惹かれてアニオタからモノノフになったのではないかとすら思う。

この文章をまどかファンが読んだら、何を言っているのだと鼻で笑うかもしれない。
私としても、鹿目まどかほどの存在が現実に存在するとは信じられない。
でもモノノフからすれば、百田夏菜子ほどの存在がアニメに存在するとは信じられないのだろう。
両方知っている人がコネクトを観て私と同じことを感じたか全く違うことを感じたかは分からないけれど、鹿目まどか百田夏菜子を並べられたら何かしら心がざわつくだろうとは思う。

あーりんに関しては、まどかが夏菜子であった場合、夏菜子ちゃんのために必死で動くだろうという意味ではほむらのように見えた。まどかがれにちゃんであってもそうするだろう。
しおりんか杏果がほむらであった場合も、夏菜子のためにほむらと同じことをするだろう。とくにしおりんは、最早ほむらそのものだ。
皆純粋であるが故に、アニメの中の少女像を当てはめやすいのだろうか。まどかとほむらの濃密な関係性が、ももクロ内の各人の関係性に近いものを有しているのだろうか。それとも全ては夏菜子に由来するのだろうか。

そうこう考えるうちに、今、猛烈にまどマギを全話観返したい欲に駆られるが、どうだろう。勇気が出ない。最初からまどかに夏菜子を重ねて観たらいよいよどんな気持ちになってしまうか分からない。
とりあえず、昔観たまどマギの記憶と昨日(0時を回ったため正確には一昨日だが)観たコネクトの記憶で書けるのはここまでだ。

大した話でもない。
まどマギを知らない人からすれば、昨夜のコネクトは単に「アニソンをかっこよく歌っていた」「魔法少女あやか☆かなこ可愛かった」というだけなのだろうが、私にとっては心臓を貫かれるような名演であったという、それだけのことだ。