えみごのメモ

有安杏果さん

雑記

もう、ももクロちゃんを使って自己啓発をするのはやめよう。
ももクロちゃんに恥じない生き方を模索するのをやめよう。ももクロちゃんに何かを学ぼうとするのをやめよう。ももクロちゃんの歌にいちいち意味付けをして聴くのをやめよう。

私は今までずっと、ずっとそうだった。ももクロちゃんが頑張っているのに私は・・・ももクロちゃんにこんなに沢山のことを学んでいるのに私は・・・と。だから時々すごく苦しくなる。
はたまた、ももクロちゃんのために行ける現場には行かなきゃ・・・誰かにももクロちゃんの良さを教えなきゃ・・・なんて、義務的に動いていたのも、本当は苦しかったんだ。
まともなブログを書かなきゃ・・・エゴサされて困ることは飲み込まなきゃ・・・という苦しさも心の底にはあったんだ。言論の自由を自ら封じていた。

多分それらは全部、ももクロちゃんに出会う前から築いてきた私の気質に由来していたのだと思う。
中学生の時くらいから考えるようになっていた。人生に意味を持たせなきゃいけない。成功を目指さなきゃいけない。努力して成長しなきゃいけない。人のために使命を全うしなきゃいけない。本来は。だけど私はそうしてない。毎日何をやっているんだ、人生は短い、今日こそ変わるんだ、変われない、変わらなきゃ、人生を無駄にしてはいけない・・・。
まあ正直、ふとしたきっかけからビジネス書オタクになったのだが、それが大きく作用してこんな人生観に至った。プレッシャーを常に抱えて過ごしてきた。「ビジネス書読んでやる気出すけど何もしない」族、日本に溢れる無数の凡人の一人だ。学生のくせにサラリーマンに混じってませていた。
だからももクロちゃんに出会った時も、本屋でものすごい良さげなビジネス書を見つけた時のような感覚があった。あれほどアイドルが嫌いだった私が彼女達についていくことになったのは、同年代の女の子が真摯に仕事して汗流して踊る姿に「啓発されたい」という欲望が心のどこかに沸いたからだ。今なら認められる。

そんなんで今日までモノノフをしてきた。もちろんただただ好きだから動いている面が殆どだが、確実に、自己啓発を求めて動いている面もあった。
恥ずかしい、申し訳ない、苦しい・・・それは自分の成長の糧だから、むしろ良い感情だよ、「お前はただオタクやるんじゃなくて色々なことを考えている偉いモノノフだね」って。

今、全てをひっくり返したい。

最近本屋で「気にしないでゆるく行こう」「楽しく生きればいい」系の本を色々見つけた。というかそういう本を求めるほど私生活で打撃を受けて病んでおり、「楽しく生きなよ」と言われることがあったのだが。
まあそれはきっかけに過ぎないのだけれど(また本の影響で価値観を作る繰り返しのように見えるがきっとちょっと違う)、なんだか、今まで何を必死に考えてきたんだ、と呆気に取られてしまった。

なんというか、私は好きに生きていけばそれだけで良くないか、と思えてしまったのだ。
嫌なことを我慢するとか、勝手に義務感を持つとか、努力しなければいけないと思い込むとか、成功しなければ人生の意味がないと決めつけるとか、だから今の自分を常に否定し続けるとか、そういう思考、わざわざこの世に生まれてまで、いつ死ぬか分からない毎日の中ですべきことじゃなかった。私が今まで頭の中でぐるぐる考えて「考えてます」と気取ってきたこと全て、何が楽しかったんだろう。もっと好きに、気楽に生きていいのに。やりたいことやって、言いたいこと言って、嫌なことはやめちゃう。そんなんで、いいらしい。とにかく無理に意義を見い出すのはやめて、楽しいことをしていけば。
こんなことを言うと反対する人は必ずいて、私もそっち側にいた。でもなんだか急にバカバカしくなってきて、そういう楽しい生き方もなんかいいな、と思えた。若者よ、夢を持ち忍耐し努力せよ的なのはもう古い。甘くていい。「そんなんじゃ社会でやっていけな」くていい。私には向いてなかったし。ガチガチにならずゆるく行こうぜ。

そんな考えに至った時、本当に私がかっこいいと思える人はこっち側だ、ももクロちゃんもどちらかといえばこっち側の、いつも楽しそうに生きているタイプだと気付いた。だからこそ、なんか運が良くなって結果的に成功もしている。努力努力努力!だけで成功したわけじゃない。
というか彼女達は、全身全霊をかけて、笑顔を届けます、一緒に楽しみましょうということをやっている人達ではないか。みなさん私達みたいに努力して成功下さい!なんて強要する軍団じゃない。

だとしたら、ももクロちゃんに啓発されたがっていた自分ってなんだろう。

見たいからただただ見て、満足。それこそが「ももクロちゃんが好き」という気持ちに基づく純粋な行動だ。
例えば私の一番好きな曲「ピンキージョーンズ」を聴いて、「逆境こそがチャンスだ・・・一生一度青春だ・・・頑張らねば・・・」と(無意識にでも)気負うのではなく、極端に言えば「うおおおPJ〜〜!!!楽し〜勇気でる〜フリコピ楽し〜ダンスうめえ〜!」くらいで、もう少し楽に受け取っても良い気がする。

要は、胸に響くものは勝手に響くから、過剰に「受け取った意味を作ろう」という思考を自分に強要しなくていい。今まで私は、常にではないけれどそういうことをしなくてはならないという刷り込みの中に在った。もうそんな機会いらない。
それが、ゆるく楽しく生きるなかで「ももクロ」という趣味を楽しむための健康的なスタンスかもねと、もう、私は、決めてしまおう。

ももクロちゃんの存在意義は、(いや、意義なんてものすら本当はないのだろうが)、自己啓発書になることではなく、ただただ楽しさや笑顔を誰かと共有すること。もちろん地獄にいる誰かにとっては救世主で、優秀な誰かにとっては背中を押してくれる頼もしいヒロインなのだろうし、その気になれば世界平和も達成出来るだろうし、存在意義も使命も当然あることにはあるのだ。なんというか。
だけれど私にとっては、楽しい思い出をくれる好きな人達、でしかない。でしかなくていい。もう。苦味を感じながら「私の成長の糧」に仕立て上げなくていい。逆に言えば私がももクロちゃんを好きでいる理由は「好きだから」という以外に探さなくていいし、ライブに行く理由は「行きたいから」だけでいい。自己啓発的な意味を求めなくたっていい。

ももクロちゃんは頑張っているのに、自分はいつまでたってもダメだ」という思想に縛られている限り、私はももクロちゃんを殺している。彼女達は、客に苦しんで欲しくて歌ったり踊ったりしている訳じゃない。多分、楽しんで欲しいと思っている。ひしひしと伝わってくる。
だからと言って「楽しまなければならない」ということでもなく、勝手に楽しくなるのだから余計なことを考えなくていいということだ。(逆に余計なことが頭を掠めたら自由に考えれば良いし。それも含めてゆるく楽しく!) 
自動的に楽しめなくなった時点で、好きと感じなくなった時点で、他界すればいいのだ。でも今私は楽しいし好きだから本能的に応援する。そういう仕組みをほんのり意識して、あとは気の向くままにテキトーにモノノフをやっていく方が、きっと私に向いている。ももクロちゃんを見るからには成長しなきゃ、還元しなきゃ、とは少しも思わなくて良いんだよと、自分を許してみようと思う。
例えあなたがどんなにクズでも、好きなんだったら自由に応援しなよと。

この文章自体、まだ自己啓発的なのだろうか。でもしょうがない。「好きなことして生きよう」と思いついたなら、余計に人生観とモノノフ観はセットだ。ももクロちゃんが好きだから。
一気に意識は変わらないかもしれないから、少しずつゆるくシフトしていこうと思う。
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