無題

どうして有安さんが好きなのかと訊かれたら答えられない。とりあえず答えたとしてもそれは表面的な要素の羅列であって理由にはならない。そもそも人を好きだという気持ちには大抵根拠がない。根拠があるとすればそれはその人と出会ってからの時間の積み重ねとしか言いようのないものだ。そう私は思ってきたけれどここに来て答えのようなものに辿り着いた。
私が有安さんを好きで、有安さんを好きでい続けるのは有安さんの顔や人柄や才能に依るのではない。一言で言えば「志」だ。有安さんが常に高い志を持ち続けているから、私は追随を止めない。
一人の人間に過ぎない有安さんが他人である私や大勢のファンに深い影響を及ぼせるのはなぜか。可愛いとか歌が上手いとかファンに優しいとか作詞作曲が上手いとかそんなところではなく、志を持って上に進み続ける凛とした姿、どんなに傷ついても落ち込んでも決して投げ出さない強さ、そうして歩んできた時間の集積こそが人々に、私にここまでの憧憬や愛情を抱かせるのではないか。
なんでそんなに頑張れるの?と凡人が思うような領域まで、彼女は疑問すら抱かずに真っ直ぐ進んでいくように見える。しかし軽々やっているわけではない、彼女は痛みや苦しみさえ歌に変えて強く立ち続ける。痛みや苦しみを直接書き連ねたり語ったりするのでも、裏の姿として隠すのでもなく、芸術に昇華し、同じような気持ちを抱く誰かを助けさえする。
有安さんは1歳から芸能活動を開始した人で、おそらくは子役の頃からずっと高い志を持ち続けていて、だから有安さんが息をするように努力が出来たとしても不思議ではない、と言って、「人種が違う」だとか「別世界の人間だ」というようにくくってしまえるわけはない。くくってしまっていいものではない。彼女も人間だ、芸能人として生まれてきたわけではなく、私と同じように人間だ。その同じ人間が高い志を持って進み続ける軌跡をリアルタイムで追い続けている。そこに「飽きる」だとかそういう概念は少なくとも私の中には発生しない。
有安さんを好きでい続けられるのは、私側の執念や愛情深さによるものではなく、有安さんが常に私の憧れの有安さんとして、刻一刻進化しながら走り続けているからだ。それ自体は有安さん自身のためのことだけれど、私もその恩恵を受けて、進化していく彼女のライブを楽しんだり、彼女の夢が叶う瞬間に立ち会ったりと、沢山の嬉しい経験をさせてもらえている。そして、彼女が倒れずに歩き続ける原動力の片隅に間違いなく私がいることを彼女の言葉によって確信しているからこそ、絶対に手を離さない。
芸能界というか世の中には有安さんのような高潔な存在がそれなりにいて、私はその中で一番私に合う人に出会えた。アイドルとファンという形で出会えた。私は遠慮なく彼女を尊敬していいし、恋しても愛してもいいし、ずっと好きでいてもいい。私は彼女が歩みを止めないことを見抜いている。死ぬまで歌いたいという願いが最後までブレないであろうことをもう分かっている。それほどまでに高潔な、しかしきちんと人間の魂を持つ、その人が、表現者として私と出会ってくれた。なんて幸せだろう。
そういうわけで私は、いやどういうわけかは全然まとまっていないのだが、「どうして有安さんが好きなのか」に対する一つのなにかに辿り着いたような気がしている。これはおそらくVol.1の余波だ。
アイドルというのはこちらの作った理想像で愛してしまう場面もあるだろうが、有安さんの姿から発せられる志は決して幻想ではないし、その証拠としての「作品」が現に私の手元に届けられている。
しかし結局のところ、例えばもし有安さんが志を捨て去ったとしても変わらず好きだ。でも私が知っている有安さんは志を捨てない。だから好きだというわけではない。でも、だから好きなのだと思う。