メモ2

ゆく桃くる桃。三回目にして初めてチケットが当たり現地参戦を果たした。

パシフィコ付近に着くも隣接する福山雅治カウコンの波に流されタイムロス。気を取り直して国立大ホールへ。夜の海がとても綺麗だった。大晦日に海を見るのは生まれて初めてだった。

建物の入り口でチケットを発行して衝撃を受けた。私としては今まで見たこともないほど"良席"らしき数字が印刷されている。

しかしはちみつロケットの歌声が聴こえてきてハッとなり走った。目当てにしていたのに出遅れてしまったが、なんとかロビーでのはちロケライブを鑑賞。
推しの公野舞華さんはショートカットになってから初めて見たけれど美しすぎた。見惚れているうちにライブはすぐ終わってしまった。

そのあとコアラモード.さんのライブを観て、コアラモード.さんの音を聴きながらトイレで化粧をして、それから戻って栗本柚希さんの歌を聴いた。
飛梅」「WINDING ROAD」はかつて推しの杏果が、「Chandelier」はかつて推しのぁぃぁぃが歌った思い出の歌だから変な気持ちになったが二人とはまた違った魅力を放つ歌声に圧倒された。栗本さんはとても楽しそうな顔で歌うのが良い。
書き下ろしたという新曲はスマホで撮影しながら聴いた。歌詞が凄い。栗本さんの魂の歌唱と、演奏が終わった瞬間の大喝采に心が震えた。
最後は出演者全員で英語の歌を。ロビーでステージを観ていた全員の心がひとつになった気がした。音楽は温かいと思った。

最後の最後までは見届けることが出来ず、早足でホールへ。想像以上に近い席でおののいた。ステージを眺め、会場の雰囲気を味わいながら、これはもっと早くから座って長く味わっておくべきだったと悟ってしまったが、ロビーでのライブは観て良かったわけだし、仕方がないから大急ぎで心の準備をした。

あれだけ楽しみにしていたゆく桃くる桃がもう始まってしまうという実感がいまいち持てないまま映像が始まってしまった。
あれよあれよのうちに金色の衣装を纏った__2013年の紅白を彷彿とさせる__ももクロちゃんが登場。
ももクロちゃんがいる。胸はときめいているが、家族と年越しをするくらい自然な感触もあった。

そこからはひたすら豪華で楽しい歌合戦だった。紅白を生で観るとこういう感覚なのか、と思った。目の前で展開されているのはテレビだけれど、臨場感がテレビの比ではない。
放送されているため内容は割愛するが、テンションの上がる場面が沢山あった。ももクロちゃんも沢山観られて嬉しかった。
中盤、恋愛レボリューションを踊るあーりんが素晴らしすぎて釘付けになったのを覚えている。その余韻に浸っていると、米良美一さんとTeddyLoidさんによる「もののけ姫 2018 feat.米良美一」の番になった。

もののけ姫2018は聴かないままこの日を迎えたが、原曲のもののけ姫は元々かなり好きな歌だった。かつてスターダストで活躍していたバンド「カスタマイZ」がカバーをしていたこともあり若干思い入れがある。杏果に歌ってもらいたい歌の一つでもあった。
「Neo STARGATE」や「Grenade feat.佐々木彩夏」の信者としてTeddyLoidさんは大好きだ。米良美一さんは初めて拝見する。

そういうわけでグッと構えて見守った。赤い服を着た米良さんには神聖な存在感があり、Teddyさんの黒い服は飾りがキラキラして綺麗だった。
Teddyさんのサウンドは第一音からかっこよすぎて、米良さんは第一声から素晴らしい歌声で、なんだか泣きそうになる。杏果ちゃんが出てきて一緒に歌ってくれればいいのにと思った。

二人を凝視していたら、緑色の傘を差した女性が左端から登場したのが視界の隅に見えた。それまでの演目でも本家紅白のように踊り子さんが登場する場面があったから、この曲でもあるんだ、たしかに和風だけどテクノだから意外だな、なんて感じつつあまり気に留めなかった。二人を見るのに夢中になっていた。実はこの演目は「もののけ姫 2018 feat.米良美一 with X」と発表されていたのだが、「with X」という字が記憶から完全に抜けていた。
だんだん傘の人が二人に近づいてくる。黒い服の女性だ。やがて彼女は傘を床に置き、髪に隠れたままの顔がビジョンに映し出された。
その時、松本明子さんの出番で3B juniorのメンバーが登場したことを思い出し、大人っぽすぎるけれど3Bの可能性もあるな、と頭によぎったため、米良さんから視線を外して上方のビジョンに注目した。

"彼女"が顔を上げる。

・・・

誰だ?とほんの一瞬だけ思った。やはり知らない踊り子さんだったか?
違う。
杏果・・・。
心臓が止まりそうになった。
急いで視線をビジョンから下ろした。
黒いスカートを振り乱し、杏果は舞う。

もうそこからは言葉にしてはいけない。言葉にはならない。

-----

というのが、1月1日に書き残して1月29日の今日少し修正したメモなのだが、やはり言葉にしなければならないはずだった。

元旦から数日経ったころ、躊躇いながらもようやく録画を観てみたら、予想以上に杏果のダンスが映っていない。スイッチングを繰り返しながら杏果と米良さんの表情をきちんと映し出すカメラワークは映像としては良いのだが、現地の空気の中で杏果のダンスを肉眼で丸々追い続けたあの時間ほどの感動は生まれなかった。それは当然のことだけれど、それでもあの映像のみで杏果が絶賛されている様子をSNS上で見るとなんだか悔しかった。あんなもんじゃなかった。もっと凄かったのに。

けれどそれを言葉にする術があるだろうか?
今はもうここにないダンスを、ダンスのことなど分からない私が無理やり言葉に閉じ込めたりして、何が楽しいのだろうか。有安杏果の芸術を矮小化して捻じ曲げてまで伝える意味はない。
TeddyLoid・米良美一有安杏果の「もののけ姫」は確かにこの世界に在った。私はたまたまパシフィコの前方でそれを目撃した。それだけでいいじゃないか。一回性の芸術とはそういうものなのだから・・・。