近況
杏果ちゃんの東名阪ツアー、自分が唯一参加する大阪初日公演に向けて情報遮断をしている。ツイッターは勿論、杏果ちゃんのブログもももクロのサイトもまとめサイトも一切見ていない。ももクロのアプリやナタリーのアプリ、ついでにインスタのアプリも消した。というか名古屋が始まった日以来ほぼスマホを見ずにパソコンのみで生活している。パソコンの場合、インターネットを開いた時のホームページを空白のページに設定しておけばほぼ事故の心配はない。ついでにテレビや新聞の類も気を付けているし、メールやLINEも一定の注意を払いながら扱っている。このような努力が功を奏して名古屋でなにが起こったのか全く知らない。・・・と言いたいところだがひとつミスがあったのは、その試みを同居人(親)に報せるのを先送りにしていたせいで、ニュースで見たという杏果ちゃんの情報をひとつバラされたことだ。ものすごくキレて萎えて号泣してしまったが自業自得だから次に生かすしかない。
こんな生活をしていると情報源が本当にテレビしかない。藤井四段の対局結果すらテレビで確認する感じだから、ももクロの情報など一切入ってこない。そんな中、先ほどメールを整理していたところ「七番勝負申し込み」などに関するファンクラブ通信が目に入り、流石に気になりすぎて開いてみた。七番勝負イベントの詳細(絶対行きたい!)百田さんの声優(ヤッター!)などよろしいお知らせが並ぶ中、とてもヤバイリンクを見つけてしまって、ものすごくドクドクしながら飛んだ。
その先で目にしたのがこれだ。
絶 叫 し た。
なにから言えばいいか分からない・・・あの・・・あの・・・宮本純乃介プロデューサー、再来世あたりで結婚してください・・・。
とりあえず予想通りだったのは「Yum-Yum !」の前山田さん。食べるがテーマの曲と聞いて前山田さんじゃなかったら絶対に嫌だ!と思っていたところ本当に前山田さんで大変嬉しい。これが一曲目なのは宮本さんの前山田さんに対する愛だろうか。違うか。
表題曲「BLAST!」がinvisible mannersさんなのには驚いた。いつかは表題曲来るだろ〜と思っていたしこのシングルの一曲くらいは彼らだと予想していたがまさかBLAST!だったとは。前作「DECORATION」の功績を思い起こすと身震いしてしまう。ジャケット写真と合わせて考えてみると、もう、ももクロを優勝させにいくつもりなんだろうとしか思えない。
「何時だって挑戦者」に関しては知っていたから省略するけれどこのCDの布陣の中にこのお三方がいらっしゃるのは鬼に金棒すぎて涙が出てくる。
で、最高なのが「Survival of the Fittest -interlude-」!サ上さんじゃん!てかインストじゃなくて歌詞つくんかい!サ上さん達をEVILに入れてから即コラボレーションに持っていくこのスピード感、嫌いじゃないですよ宮本さん大好きです。
そして・・・気絶した。あのですねえ・・・。
「境界のペンデュラム」作詞・・・藤林聖子あのですねえ・・・。
まず境界のペンデュラムという名前の時点でアニオタ心をくすぐられまくってもう最強に好きだったんですけども、まさか、藤林女史、あなただったとは・・・。
特撮オタ上がりなので藤林聖子様のことは本当にお慕い申し上げていて「WE ARE BORN」の時に半狂乱になりながら喜んでいたのだけれど・・・次があったとは・・・。しかも大隅さんの曲に藤林さんの詞がつくって、なんで表題曲じゃないの?って感じだけども、この曲にはMVがあるんですよねえ・・・勝ちですねえ・・・。
こんなの、普段の自分であれば気持ちをツイートにぶつけて「ウオオオオオオオアアアアアアオアオアアアアアアアアアアアアアアアイヤッタアアアアアアアアアアファアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」とかやるんだけども、あいにくツイッターは開けないためブログにぶつけさせて頂いた。
この話題は終わりです。
こんなただの「ブログ」みたいなブログ、何の意味があるんだかという感じだけどなんかもうしょうがない。後で見返してこの日々を思い出して欲しい、未来の自分。
ついでに大阪初日へ向けての気持ちなどを綴る。
まずphoto wall企画に貼る写真がまだ撮れていない。そもそも大好きな大好きな「ペダル」をイメージした写真、私なんかが撮ってしまっていいのだろうかとか思ってしまう。何千分の一枚だったとしても責任を感じてしまう。あとは単純に難しい。毎日カメラを持ってウロウロしてはみるのだがなかなか良い出会いがない。一応過去に撮った写真の中に候補はあるがやはりここは「ペダル」を想いながら新しく撮りたいため、あと3日間粘ろう。
ライブに関しては、まず名古屋二日間が上手くいったのかどうかすら知らない。まあ大丈夫だったと思うし、大阪が大丈夫であればなんでもいいというのが正直なところだ。
冒頭の方で書いた"親にバラされた事柄"に関しては、まあ察してほしいのだがアレで、それに関してはやっぱり動揺が激しいため事前に情報だけを聞いて臨む方が当日音楽に入り込みやすいだろうから良かったのではないかと前向きに解釈している。その、事柄自体に関してはとても良いことだと思う。
セットリストや新曲、演奏、演出、衣装などなどに関してはまだ好き勝手予想できるから楽しい。頼むから物販に並んでいる間に周りの人間から聞いてしまうのだけは避けたいが。
セットリストは色々なパターンが予測できるがグッズ等のハムスター推しを考えるとハムスター始まりかなと予想する。もし会場ごとに変えるのならば名古屋がハムスターで大阪はペダルで東京はAnother storyということになる。あとは全く分からん。アンコール最初あたりがfeel a heartbeatで最後は心の旋律かな。
新曲はあると聞いているが、最大10曲くらい用意していてもおかしくない。全てオリジナル曲でやると言っているのだから、そういうことなのではないかと思うのだが期待しすぎだろうか。名古屋公演の直後あたりのファンクラブ通信は題名すら読まずに廃棄したから、知らぬ間に配信とか始まってる可能性もなくはない。どうなっているんだか・・・。
演奏に関してはAnother storyなどでドラムを叩いてくれたらかっこいいなあと思う。バンドメンバーは誰でも大好きだけれどサプライズで武部さんがいたら嬉しい、がそれはないだろう。銀テープは今回もある気がする。ビジョンも多分あって、杏果ちゃんが撮った写真が映されたりするのではなかろうか。衣装は今までと同じ系統で、さぞ可愛かろう。それと大阪でのMCは関西弁バリバリなんだろうな。楽しみだ。
とかまあ適当なことを言っていられるのもあと3日。今自分が願うのは、とにかく急用も何も入らず7月1日に大阪へ行けますようにということだ。どうかそれだけはお願いしたい。あとは杏果ちゃんも自分も当日健康でももパワー100%で挑めるよう祈る。
こんな生活をしているせいか、杏果ちゃんの歌だけが世界の真実という気がしてくるし、砂漠で水を求めるように杏果ちゃんの歌を求めてしまう。なんだか杏果ちゃんの歌に出会えて本当に良かったな自分〜と改めて噛み締めている。
ああ早く杏果ちゃんの歌を聴きたい。
CAPA6月号
近所の書店に足を運び、今までの人生で何百回も訪れているいつものカメラ雑誌コーナーへ直行した。
昨日までの1ヶ月間CAPA5月号を確認していた棚を真っ先に見たのだが、姿が見えない。あれ?と視線を落とした瞬間、彼女と目が合った。発売日のカメラ雑誌は下に平積みされており、様々なモデルさんや猫、羽生選手らが並ぶ中に緑の姫はいた。
杏果がCAPA6月号の表紙を撮影したあの日から、今日という日を心待ちにしていた。杏果がカメラ雑誌の表紙を飾るなんて夢のようだった。ようやくその日が来て、その雑誌を手に入れ、部屋に帰り袋から取り出したのだがなんというかいまいち現実味がない。表紙の画像を一昨日から散々見ていたせいだろう。
一番に杏果のページを開いてしまったらこのフワフワとした感覚のまま読み終わってしまうような気がして、1ページ目から丁寧に読んでいくことにした。
【以下ネタバレ】
1ページ目のスナップショットに早速心を奪われ、立木さんのインタビューを読んで面白く思っていたところにファーストインパクト。次のページ、目次のページ、右上、カメラを持ってお茶目に首を傾げる杏果さん。表紙裏表紙特集以外にも彼女がいるなんて予想外だったし、あまりにも可愛いから意識を失いそうになった。このお写真は杏果推しがめっちゃ好きなやつだろう。
我に返り、1ページずつめくっていった。機材紹介で早速杏果のαが出てくる。これは最新機種α9の紹介で杏果のα7IIはスペック比較に出てくるだけなのだが、まあ反応してしまう。読んでいるとα9が普通に欲しくなってくる。54万円だけど。
次に表紙で杏果が構えているD7500が出て来た。というか杏果もこうやって1ページずつ読んでいくんだろうなということに思い当たり嬉しくなった。16まんえんのカメラは買えないけれど読むのは面白かった。
そしてメインの鉄道写真の特集が始まった。鉄道写真を撮る人ではないけれどとても面白かった。ひとつひとつの写真が綺麗で、撮り方を読んでみるとへえ〜なるほど〜という感じで、こんな写真が撮れたら最高だなあと思った。杏果もそう思いながら読むんだろうか。
特集が終わり次のページ、α7IIキャッシュバックキャンペーンの広告が載っている。ダイレクトなマーケティングすぎる。ずるい。
それでその後は色々紹介があって、白黒のページを色々ほ〜んと思いながら読んでいって、梅雨の花のある風景特集に辿り着いた。こちらにもとても惹かれた。
そしてオリンパスの記事があってクリエイター向けPCのページがあって次もそんな感じだろうとページをめくった瞬間、びっくりして戻してしまった。
ついに有安杏果のページだ。ここまで同じように読んできた一般読者も、こういう風に少し驚くのだろうかと思うと胸が熱い。
これは杏果が大学を卒業してから初めてのしっかりとしたインタビューで、写真のことについてガッツリ触れる初めてのインタビューになっているだろうから、一文字一文字真剣に読んだ。まずはこなれた手つきでカメラを構えている素敵な写真を味わってから。
結果的に、ものすごく良かった。あまりにも良すぎた。4年前に我々が知ることのできなかった、そして今日まで知ることのできなかった、大学受験のこと。いつの間にか杏果が使うようになっていたD600との最初の思い出。作品だけは見ていたものの詳しい意図は聞けていなかった卒業制作「心の旋律」について。結構知りたかった、カメラを持っている時の杏果の意識。結構気になっていた、これからの展望。さらに初出しの写真3枚。突然現れたCanonのカメラ。
時を超えて、一番知りたかった秘密が明かされていく。今まで知りえなかった杏果がそこにいる。もう胸がいっぱいすぎて呆然としてしまう。もうダメだ。
その後のページは写真だけじっくりと見ながら本文はさくさくと読み進めていき、編集後記のページで杏果と土屋さんの可愛いツーショットを見つけて発狂し、最後に可愛い裏表紙を拝んだ。
この雑誌を読めたことの本当のエモさを語るには、今までの4年間のことをしっかりまとめなければならないくらいだ。まあ私のようなファンならみんな分かるだろうからそれは置いておく。
今回の事の重大性は、一般人としての杏果が大学受験を突破し日芸に入学し4年間秘密裏に写真学科で修業し二つの賞を携えて話題性のある卒業を果たしたことの成果が、芸能人としての杏果の活動にはっきりと還元された初めての事例だということにある。杏果が仕事と並行しながらこっそり大学に通ったり写真を撮ったりしていたおかげで、ある雑誌の表紙と特集を任されたということだ。その仕事は有安杏果の名もももいろクローバーZの名も広げるもので、夏菜子がべっぴんさんに出て世間に知られるのと同じような効果を持つものだろう。今まで完全にプライベートで重ねてきた努力が、やっと公のアイドル活動に繋がったのだ。それがCAPA6月号。ただの雑誌じゃない。
特集の内容自体はファンにとってもカメラ好きの一般読者にとっても初めて触れるものだけれど、ファンにとってはやっと明かされた真実という感じで感動してしまう特集だし、一般読者にはももクロの人がそんなことをやっているのかという新しい発見をもたらす特集で、その、双方に効果的だという構造は面白いしこの雑誌の価値をさらに高めている。
いやあ本当に良かった。CAPA6月号という現象は尊い。CAPA編集部に要望を出していたらしいモノノフの方々ありがとうございます。
写真学科時代の話も重要なんだけれど、一番の収穫は写真に対する杏果の態度を知ることが出来たということだ。
カメラを持っている自分が自然体に近い。日常の中の何気ないものを撮りたい。ありのままの自分でシャッターを切る。
そういうことだったのか、と納得した。今回1ページ目から雑誌をめくる中で沢山の写真を見たが、それと比べてみると杏果の写真はシンプルだと思った。奇をてらったりかっこつけたりしていない。今まで杏果が出してきたブログやももカメラの写真もまっすぐな写真だった。そこで「自然体」「日常の中の何気ないものを」「ありのままの自分で」という思いを読んでなるほどと納得した。とても納得した。
「技術が全然及ばない」と言いながらも、技術がある風に撮ろうとするのではなくありのままで撮る。そもそも、ありのままの自己表現がしやすいレンズを選ぶ。それでもありきたりということではなくてそこには独自の自己表現があり、集大成としての卒業制作は唯一無二の作品として評価されている。
この感じ、どこかで・・・と思ったら、杏果の作詞活動だった。それこそが一番の自己表現になると自覚しているからこそ、かっこつけずにありのままの気持ちを表現する。多分そんな姿勢が杏果の芯にあって、一人きりですぐに完結することのできる写真撮影ではその芯が最も澄んだ形で反映されている。
同じなんだ。やっぱり杏果なんだ。そういう風に思えて嬉しくなってしまった。
あと、そんな中でも「アイドル活動をしている自分にしか撮れないもの」を武器にしているのはしびれる。そもそもの始まり、大学受験で提出した写真が武道館ライブ(2012年の女祭りか男祭りだろう)の裏側の過程を収めたものだなんて、ねえ。泣いてしまう。
今や杏果はステージに立ったり仕事をしている時間だけでなく、プライベートの時間でも作詞や撮影を通して活動ができてしまうということだ。私は杏果が好きだから、杏果の表現が増幅されたことが嬉しいし、さらなる可能性にもワクワクさせられる。音楽活動と写真のリンクも考えているようで、今後の杏果がすごいことになっていく予感しかしない。
写真展や写真集もいつかは、と言ってくれたことが本当に嬉しかった。全力で待ち続けよう。
そんな感想を持たされたCAPA6月号だった。買うのは当たり前だけれど本当に買って良かった。
CAPA6月号は杏果の、なにか大きな節目であると思う。全国の書店のカメラコーナーに杏果が並んでいるこの1ヶ月間は、とても神聖な時間だと思う。その1ヶ月間、杏果はひたすらライブの準備をして、その後あの卒業制作と共に名・阪・東を巡る。きっとその先に新しい杏果が待っている。楽しみだ。
あとは自分も無性に写真が撮りたくなった。音楽はやらないけれど写真ならやってきた。写真でなら杏果と少しだけ通じ合える気がして嬉しい。私もまた私らしく撮っていこう。
興奮しすぎて乱雑な感想になってしまったが、とにかくCAPA6月号は宝物だ。本当にありがとうございます。みなさん買ってください。
有安杏果さんは
かわいい...
辛い
ずっと辛い。どうしていいか分からない。
杏果
杏果が辛い時、私も辛い。
杏果が悔しい時、私も悔しい。
杏果が怒っている時、私も怒りを鎮められない。杏果が泣いている時、私の涙も止まらない。杏果がなにか苦しんでいるのなら、なにも知らされなくたってその苦しみを想像してしまう。
そうやって杏果の心を間近に感じてきた。
感じようとしてきた。感じたつもりでもいいから感じていたかった。
喜・楽だけでなく。怒・哀にも限らず。
だって私はちっとも嫌じゃないんだ。杏果を応援する中で、笑顔になれない瞬間が。不安に駆られる心地が。
ちっとも嫌じゃないどころか、そういう局面でこそ嬉しくなってしまう。
確かに元気な杏果、笑顔の杏果を見ることは私の幸せだ。幸せな今日を送る杏果を想えばそれだけで幸せだ。
でも私は、ときどき理不尽な目に遭ったり、病に道を阻まれたり、挫折や失敗を噛み締めたり、恥をかいたり、後悔している杏果を見るのも正直言って幸せなんだ。
別に杏果が常に心配だとか、杏果には弱い人間でいてほしいだとか、ファンが支えるべき庇護対象で在ってほしいだとか、そういう風には思えなくて、ただ杏果が杏果としてなにかに躓くことを、紛れも無い杏果の魂が揺れることを、どこかゾクゾクとした喜びをもって受け入れてしまうんだ。
杏果が本気で生きる中で私達に見せる全て、杏果の身に起こること全てを、杏果への愛を深める理由として受け取ってしまうんだ。
どうにもこうにも、杏果の「不運さ」や「コンプレックス」や「弱さ」、「闇」なんかを見つけてしまうと、それごと愛しくてたまらなくなってしまう。
どんな杏果は好きで、どんな杏果は好きじゃない、どんな状況なら歓迎して、どんな状況なら拒絶する。そういうことではなくて、杏果の中にあるもの、杏果を取り巻く現象全てをまるごと愛してる。
杏果が杏果であること、それが全てを引っ繰り返すほどの価値なんだ。感情をどの方向に振り動かされても、結局「好きだな」としみじみ思える。だから杏果を見つめる間いつも幸せだ。
私は既に揺らぐことのない「有安杏果」ファンで、「有安杏果の人生」オタクだ。
杏果が生きていてくれればもうなんだって嬉しい。今生きている杏果を感じられるのなら、なんだって嬉しい。心を知ること、心に触れることが嬉しい。苦しい心に共感することも、それが杏果の心であるというだけで喜びに変わってしまうんだ。
芸能人である杏果を、出来るだけ生身の人間として好きになりたい。こんな理不尽な欲望まで背負わせてしまうようで申し訳ないが、杏果はただ杏果らしく好きなことを頑張っていてくれればいい。
これからも色々なことが起こるだろうけれど、私はその度に杏果をもっと好きになるだけだ。
クリエイターとしての有安杏果
万が一有安杏果さんがエゴサーチによってここに辿り着いてしまったら申し訳ないため、今から語るのはあくまで数万の杏果推しの中の一粒でしかないとある大学生から見た杏果の姿であることを先に記させて頂く。
杏果推しになって以来、パフォーマーとしての有安杏果に強く惹かれながらここまでやってきた。特にここ1・2年、暴走するかのごとく歌唱に魂を注いできた杏果は、常に私の自慢の歌手であった。
しかし本来の私はクリエイター大好きババアだ。元からアニオタを続けてきたこともあり、杏果以外で熱狂的に応援している対象のほとんどがクリエイターだ。パフォーマーのファンになったのはももクロが初めてと言っていい。
杏果に関してもブログの文章には当初から惚れ込んでおり、もしも、彼女が作詞などを始めてクリエイターにまでなってしまったら、私はどれだけ杏果を好きになってしまうのだろうか、杏果なしで生きていけるのだろうか、といつからか案ずるようになっていた。
パフォーマー兼クリエイターの杏果がいる世界。かつての私が願い、恐れた世界。
本当の意味でそれは、彼女が自作曲を含めて構成したコンサートを大観衆に届けきった2016年7月3日以降のこの世界だ。
この世界が誕生して実際に私がどうなったかというと、まあ予想通り杏果をもっと好きになり、杏果なしでは生きていけなくなった。杏果作の歌が大好きで、毎日聴いても飽きないどころかどんどん好きになっていく。それを歌っている杏果の声も大好きだから、2倍、3倍の好きが溢れる。昔の自分が絶対に憧れるような最高の世界になったと思う。
ただ昔の私は、杏果自身がどう変化するのかについてはほとんど考えていなかった。あったのは、最強になるんだろうな〜くらいのぼんやりした想像だけだ。
ここまで書いてきてなんだが、私が杏果をどれほど愛するようになったかなど、正直どうでもいい。ここまでの文章は本当に蛇足だ。
この世界が誕生してもうすぐ2ヶ月という時にようやく私は杏果がクリエイターになった意味を自分なりに見出した。大切なのはそっちだ。
クリエイターとしての有安杏果は、本当にクリエイターをしていた。
作詞、作曲、コンサート作り、グッズ考案とデザイン。何も浮かばない、理想に届かない、人に敵わない、刻限に間に合わない!そんな不安と焦りの中でもがき苦しんでいた。と同時に、作りたいものを好きなように作り上げていく喜びで空へも飛んでしまえそうな杏果の心情も、著書として発売された日記に綴られている。その日記もまた、彼女の手から生み出された作品だ。
要は、クリエイターごっこではない。一切の妥協も許さない謹厳なクリエイションがそこにはあった。他者に依頼した作詞・作曲・編曲でさえ、綿密な注文とやりとりを経てようやく杏果のこだわりを実現するような、そういう現場であったようだ。1年足らず、実質数ヶ月の期間で用意した曲は9曲にのぼり、更にそれらを組み込んだ横浜アリーナでのコンサートも1から全て彼女が創り上げた。手がけたコンサートグッズも相次いで完売し、著書も重版出来。一応書き加えると曲のクオリティはプロに引けを取らないレベルで、とても初心者とは思えない。
協力した関係者でさえ漏らすが、正直こんなことになるとは思っていなかった。音楽プロデューサー宮本純乃介は半ば疲れ切っていた。しかし杏果はあくまで楽しくて、止まらなくなってしまって、情熱の赴くままに、苦しみさえも力に変えて、作品を生み出し続けたのだ。それはクリエイションの本質だろう。
しかも杏果が凄いのは、全ての創作活動のベースに"自らの夢の実現を目指しつつ、きちんと客のニーズも把握・推測して落とし込む"というスタンスが横たわっていることだ。さらに共同制作者への感謝も並の表し方ではない。杏果は本物のクリエイターだ。
以下、クリエイターとしての杏果のメインの活動である楽曲制作に焦点を当てる。
上記のような激動の制作を終え、ついに杏果の楽曲は世に放たれた。ラジオで、配信で、コンサートで、CDで。曲は聴いてもらって初めて完成する、というようなことは自身も考えていたと見受けられるが、クリエイターとしての有安杏果がこの世に誕生したのは、みんなに曲を聴いてもらってからだろう。
その時杏果はどうなったか。
めちゃくちゃ喜んでいた。
生放送で初めて曲を公開したラジオ、有安杏果のオールナイトニッポンR。1曲目のfeel a heartbeatを流し終え、笑みを含んだ声で曲紹介を終えるや否や「ふあーっ!ちょっとー!みんな、初めて聴いたんだよね!?」とテンションを上げていたのが懐かしい。曲をかける度にTwitter上の感想に目を通し、喜びを滲ませながら紹介していた。とにかく聴いてもらって反応を得られることが、お褒めのメールを貰えることが、嬉しくて仕方がない。そういう様子だった。
「みんないろんな感想を書いてくれてて
自分が作った曲名を検索してみたりして
みんなの声をきいてるよー」
そんなテンションは、ついに迎えたコンサートで爆発した。自らが生み出した楽曲を、イキイキと、キラキラと、跳ね回るように届ける杏果の姿を思い出すだけで笑顔になる。カバーしたももクロ楽曲の盛り上がりに嫉妬する様子すら見せ、自作曲への愛を覗かせた。
コンサート後には楽曲配信やカラオケ配信が追加され、どんどん曲が世に広まっていった。憧れのアーティストたちにCDを渡すことも出来た。和田アキ子さんに褒められたりもした。BRODY10月号掲載のロングインタビューによると、コンビニで曲が流れたという情報やファンが曲を弾いてみた動画などもネットで拾い上げ、いたく感動しているようだ。
聴いてもらえること。歌ってもらえること。活かしてもらえること。全てが嬉しくて嬉しくて、生の声を聞きたくてサーチする。頑張って作った曲たちがちゃんと届いているという現実に、きっと何度も何度も感極まって、感謝している。
ここでとあることに気付く。
私の知っていた今までの杏果は、何をサーチしていたのか。
私が見てきた杏果、すなわちパフォーマーとしての杏果は、歌手として凄まじい高みを目指すストイックな人だった。
歌唱には相当な準備期間を費やし、限界まで練習をして臨む。テレビで歌えばその夜に録画を見直し、ライブで歌えばその夜に音源を聴き直し、徹底的にダメ出しをする。どんなにスタッフが褒めようと、鍛え抜いてきた自分の耳で聴いてダメなものは、ダメ。上手くいったような時も舞い上がらず、冷静に分析し、確実に改善する。
とはいえ決して独りよがりではない。先生の指導を柔軟に受け、愚直に実践する。そしてなによりも、聴かせる相手であるファンの言葉を積極的に閲覧する。
しかしブログのコメントやツイッター上に並ぶ感想を喜んではくれるのだが、上記のようにストイックな杏果が本当に求めているのはむしろ厳しい指摘だと言う。
私としては、杏果が命を懸けて準備してきた歌がまるっきりダメなわけがなく、必ず一つは褒める点があると考えている。そもそも評価するために聴いているわけではないため、心に響いたら素直に褒めたくて仕方がない。しかし杏果は絶賛に甘んじるよりも改善点に着目したい。客にすら厳しい声を求め、未来を目指す。それが寂しいだとか、この声をちゃんと聞いて欲しいだとか言うつもりはない。ただ、そこまで自分を追い込んで大丈夫なのか?自分の仕事を褒めることはあるのか?と少しだけ心配していた。
そんな矢先、新たに私の前に現れたクリエイターとしての杏果は、自分の仕事について嬉々としてサーチしては感激しているように見える。日記によれば制作中は自己嫌悪に苛まれる場面も多かったようだけれど、完成後の発言からはもう卑下の精神を感じ取れない。
まあパフォーマーとしての杏果も嬉々としてサーチするだろうし、クリエイターとしての杏果も厳しい声を求めているかもしれないため想像の域の話にはなる。しかしやはり、エゴサーチの質は決定的に異なるように思えてならない。
クリエイターとしての杏果は、褒め言葉に注目し、好評価を素直に受け入れ、絶賛を喜ぶことが出来るのではないか。
なんだかそれが、杏果が創作活動を始めたことによる一番の効能な気がしてならない。どこか危ういまでに自分を追い詰めてきたパフォーマーが、クリエイターを兼ねることで好評価を喜べるようになった。杏果の中で上手い具合にバランスが取れて、安定したのではないか。これが、杏果がクリエイターになった意味として、私が見出したものだ。
パフォーマーとしての杏果にはゴールがない。今日歌ったら明日はもっと上へ。一つ一つの歌を届けること自体が使命なのだが、それをよりよく遂行するための歌唱力はいくら磨いても磨く余地がある。ひたすら自分との戦いが続く。
クリエイターとしての杏果は、練り込んだ末に楽曲を完成させれば後はパフォーマーの杏果に渡すだけだ。その作品を改善する余地はなく、次回作のために厳しく反省する意味もない。 楽曲自体は多くの人々と共に完成させるため、集団的な自信や誇らしさも生ずる。
実態は分からないが、おそらく二者はそのようにして確実に異なる性質を持つ。杏果の中で、パフォーマーの杏果とクリエイターの杏果がバランスを取りながらも互いに良い影響を与え合い、コンサートではタッグを組んで爆発する。杏果のそういう人生がスタートラインを越えたのだ。これこそが喜ばしい。
結局、自分を褒めずに厳しい指摘を探すあの杏果が、自分の作品に舞い上がって楽しくエゴサしているらしいのが私は嬉しいのだ。嬉しいし、どこかほっとした。
私の理想の杏果が具現化したことよりも、杏果が幸せになっていることの方がずっと大切だ。だからこんな推察を書き殴った。
今回私は昔からの考えに基づき安易に「パフォーマー」「クリエイター」と分けて書いたが、本来の杏果はもっと多くのタイプを兼ね備えているはずだ。きっとクリエイターとしての杏果の誕生は全ての杏果に好影響を与えているだろう。余談だが写真撮影も杏果の私的な創作活動として認められる。
他のタイプと言っても語彙力がないため「エンターテイナー」「21歳の女性」くらいしか浮かばないのだが、確実に言えるのは「アイドル」であることだ。むしろ杏果の持つ全ての属性を包括しているのが「アイドル」なのかもしれない。「パフォーマー」と「クリエイター」の杏果の根底にも「アイドル」があり、具体的にそれはファンに寄り添う姿勢に代表される。
アイドルというカテゴリーで杏果を見ると、パフォーマーとしてもクリエイターとしても私が心から信頼することが出来るアイドルは杏果だけであり、両方に秀でながら総合的な活動を高め続ける能力を持つアイドルは杏果しかいないレベルで稀なのではないか、ということに考えが及ぶ。そういう視点を加えると、パフォーマー兼クリエイターであるという以上に杏果は面白く、唯一無二の価値を有している。
杏果が幸せで最強。パフォーマー兼クリエイターの杏果がいるこの世界は、過去の私が想像していたより遥かに桃源郷だ。しかもこの世界は始まったばかりで、これから永らく続いていく。未来の杏果がどうなっていくのか、1年後の姿ですら今は想像することが出来ない。
相変わらず無数の緑の粒の一つを担っているであろう未来の私も、度々こんなブログを書いては、今の私に教えてみたいと笑うのだろう。
杏果へ
今日のVol.0は、杏果をいつ好きになった人が観てもああっっってなるライブだったと思う。私は昔の杏果に関しては過去としてしか知らなかったけど、小さきものとかKiss youでボロッッッッボロに泣いたから、当時応援していた人が見たらやばかったろうなと。でもももクロの曲やてんかすの曲、旧ソロ曲と新曲、全てあって、誰にとっても「杏果を好きになった時杏果が歌っていた歌」がきっとあって、だから杏果の人生に関わってきた全ての人の胸に届くライブだったんじゃないかなと思う。子役として、ダンサーとして、P-Aメンバーとして、ももクロメンバーとして、てんかすメンバーとして、そしてシンガー有安杏果として、いろーーんなことがあって、たくさん泣いてここまで頑張ってきたこれまでの杏果の、完璧なる集大成だった。だけど新曲を歌いながら跳ねて笑う杏果がすごく楽しそうで楽しそうで、今までの杏果の全てが報われたんだなという気がした。良かったねって心から思った。だけどだけどバンドさんに囲まれて洋楽歌う杏果はすんごく新しい魅力を放ってて、未来も見えた。過去も今も未来も詰まってたんだなって。そしてそれを取り囲むのはものすごいあたたかい空間。広いような狭いような横アリに、家族みたいに集った人たち。見渡す限りの緑の海。後から聞けばももクロメンバーもいたし、お世話になった色々な人がいたんだね。その場にはいなかっただろうけどお花を贈ってくれた大物の方も沢山!イノッチの名前を見た時は泣いたよ!杏果はそんな沢山の、杏果のことが好きな人たちに見守られながらVol.0をやり遂げた。全ての人たちにありがとうを届けきった。"ここから始まっていくんだ、って気持ちかも"って思った。私は、杏果のこれからを絶対に観続けるんだ!って誓った。杏果の人生が奏でる歌を、未来永劫聴き続けたい!って強く願います。横アリを走り回った杏果は、いつだってファンと手を繋ぎあってくれている。この手を絶対に離しちゃいけないと思った。ココロノセンリツはもちろん、杏果が立つステージ、杏果が届ける歌を全て受け止めていきたいよ。最後に。杏果さん。夢を叶えるあなたはとってもキラキラしていて、かっこよかったりかわいかったり、大人っぽかったり美しかったり、楽しそうだったり嬉しそうだったり、音の中で沢山の顔を見せてくれました。夢を叶えるってそういうことなんだと、生きるってそういうことなんだと、感じました。歌もダンスもギターもドラムも超超超良かったです。新曲全部良かったし「ハムスター」は天才的でもう大好きすぎます。ていうかセトリ見てちゃんとした感想書けば1万文字でも書けます。本当色々良かった。でもTo Be With You一緒に歌えたのが一番嬉しかったかもです。終わっちゃったのが寂しいけど、ずっと目指してきたソロコンサート、横浜アリーナのど真ん中、ついに叶えたんだね。全曲やりきったね。なんだかんだ緊張してたのでホッとしました。本当にあなたは素晴らしいです。お疲れ様でした!家帰ったらお手紙読んで日記書いて寝ます。ありがとう。また会おうね!
杏果作詞して!続編 〜 #有安杏果ANNR 〜
前編→http://mcz1016.hatenablog.com/entry/2016/06/13/231525
(内容を振り返ると、「杏果作詞して!」。以上だ。)
6月12日午前3時からの2時間を、生涯忘れることはないだろう。
ついに始まった有安杏果のオールナイトニッポンR。真夜中に生放送で杏果の声を聴くドキドキ感、それを大勢のモノノフと共有しているワクワク感、いよいよ曲が公開されることへの期待と少しばかりの焦り。色んな感情が渦巻く中、その瞬間は思いの外早く訪れた。
早速曲を流しま〜す。(と言ったかどうか覚えてはいないがそんな感じだろう)
え???
ええ???
い、今???
なんか、4時くらいちゃうの???
始まったばっかやで???
ギターで作曲してうんぬんかんぬん〜Aメロの「大事な」をどうするかで1日中うんぬんかんぬん〜
その曲を今流すと言う。
覚悟もなにもさせてくれないのだ。もう行くしかないのだ。
正直少しだけ不安だった。あれだけ期待してきてもし万万万が一期待外れの曲だったら、どうやって受けとめよう。どうやって絶賛しよう。一度聴いてしまったら、おしまいじゃないか。
なんて。
あとは素直に、大きな夢が叶うことへの緊張感で一杯だった。
いよいよ曲が始まる。
覚悟を決めよう。
よし!
スタートラインに立って
空向けて手をかざして
始まりの予感
あなたと感じたくて
目の前に散らばる
音の魔法のカケラを
一緒に浴びていこうよ
Ah feel a heartbeat
・・・・・・
完敗だ。
この時点でもう、分かった。分かりきった。
これはやばい。
杏果の言葉が、杏果のメロディで、杏果の声に乗って、心に直接届く。
今まで体験したことのなかったそれは、あまりにも凄いものだった。凄いとしか言えない!
「feel a heartbeat 」全てが杏果に満ちていた。全ての言葉が嬉しかった。横浜アリーナの景色がもう見えた。涙が出るというよりは、涙すら出ない号哭という感じだった。何を言っているのか分からないが、とにかくそうだった。
ずっとずっとずっと夢見てきた瞬間が現実となった。夢の何十倍も素敵な現実だった。期待外れだったらどうしようなんて杞憂オブ杞憂だった。作曲も素晴らしすぎて驚いた。身動きが取れなくなった。
杏果は流石ラジオの申し子で、やっと曲を聴いて貰えたことに興奮しながら面白いトークを繰り広げていた。
ごめん、正直全然頭に入らなかった。
待ってくれ。時間をくれ。ちょっとこれは無理だ。あまりの衝撃、あまりの感動。何も考えられないよ。
そんな私の心など待たず、杏果はすぐさま次の弾を撃ってきた。今度は・・・機関銃だ。
新曲、9曲あります。
録り終わった8曲を今日全部流します。
あ、死んだ
新曲が4曲だけだと、誰が言った?
確かに誰も言っていなかった。杏果はミューコミプラスで4曲分の作者を発表しただけだ。追加があったとしてもまあ1曲くらいで、全5曲かななどと信じ込んでいた私。アホ野郎!
流石に9という数字の威力は私の耳を貫き、さっきまで全然話を受けとめていなかった脳にちゃんと届いた。いやそれ以上に、今日8曲流すというのが衝撃だった。1曲でこのザマなのに、8曲って・・・。恐ろしかった。
杏果は8曲の作者を読み上げていく。[Alexandros]さん!?風味堂さん!?小谷さん(はそんなに知らなかったすみません)!?へ、へえ〜〜〜〜〜〜!と言いつつももうなんというかそれどころではなかった。わけがわからないよ。
そうこうしているうちに次の曲へ。
3年前に作曲出来る友達に出会って一緒に曲を作ったという「Catch Up」
最初のフレーズを聴いた瞬間、ああこれモノノフに向けた歌だ・・・と胸が一杯になった。実際に曲終わりに「これはモノノフさんを想って〜」と説明された時本当に嬉しかった!これも全て杏果の言葉だ。日々エゴサをしている杏果だ。そして曲が・・・めっちゃ良い。なんてことだ。普通に例えばMステに出ていてもおかしくない出来だ。杏果・・・!
あまりの感動にもはや精神が遠のきそうになった。2曲目もこんなにやばいものなのかよ。最後まで聴いた時私は生きているのか??
3曲目、「ペダル」
完全に杏果が一人で作詞も作曲もした歌だ。
杏果の心の少し暗い部分、負けそうになる弱さ、それでも強く在ろうとする信念、明るく駆けていく爽やかさ、自分を貫いていく意志、そんなものがギュッと詰まった、杏果の歌だった。全ての言葉が好きだと思った。多分私は死ぬまでこの曲を愛するだろうともう確信した。
そして杏果が鼻歌で作曲したというこのメロディー、えげつなく良かった。唖然。あり得ないレベル。もはや怖い。はっきり分かってしまった。
杏果は作曲でも天才だった!
4曲目、「心の旋律」
タイトルを言われた瞬間うわあああと発狂しそうになった。ココロノセンリツ!!!ライブタイトル!!!まじか!!!
あの夢は叶わない
あの子にも敵わない
第一声、そう歌われた瞬間心臓をギュッと握りつぶされたような気がした。
杏果が、そんな歌詞を。
特に"あの子"には鳥肌が立ってしまった。真意は分からないがこれを聴いた瞬間にパッと一人が思い浮かんでしまったのだ。よく考えると流石にそれはないのかという気もするため書かないが。
この曲は、杏果の願いそのものだ。杏果の心の旋律だ。
歌いたい 歌いたい
ブワーーーーーっと鳥肌が立った。これほどまでに有安杏果な曲がどこに在ろうか。
もう限界だった。
楽しいトークも挟みつつ5曲目「Drive Drive」へ。
この頃にはキャパオーバーで瀕死だったが頑張って聴いた。
この曲、めちゃめちゃ良い。めちゃめちゃかっこよくて今聴くとサイコーすぎるのだが、正直この時はおお!と驚くばかりでピンとこなかった。
杏果が自分で紡いだ言葉の衝撃があまりにも大きかったせいだ。
この後続く提供曲、曲自体も歌い方も最高なのだ。6曲目「裸」は大人な新境地で、7曲目「愛されたくて」はジャジーで可愛らしい新境地。大変びっくりした。
でも、杏果の言葉を1ミリも残さず拾おうというモードに入っていた耳では、音楽として上手く聴けなかった。勿論今聴くと最最最最最高の3曲だから、またきちんと感想を書きたい。今回はあの日の記録を未来の自分に残すという意味でここまでにしておく。
夜が更ける、というか明けていくにつれ、段々とハイになってきた。
最初は頭が混乱してまともに聞けていなかったトークも、きちんと楽しめている。
アコギで即興で歌を作るコーナーは圧巻だった。そんなことも出来てしまう杏果が誇らしい。
空は明るい。放送の終わりが見えてくる。そしてついにこの日ラストとなる8曲目、「Another story」の番が来た。
もう分かっていた。次の曲は宮崎誠作曲だ。宮崎誠さん、アニオタとして知っている曲ばかりを手掛けていらっしゃり、ミューコミプラスで名を発表されてから狂ったように楽しみにしてきた。ついにその時が、来る。
・・・・・・
・・・・・・
す、
凄い
杏果の本音が心に流れ込んできた。宮崎さんの秀逸なメロディーに乗って。
この歌詞は流石に、やばい。この時の、言葉が心に刺さった跡は、永久保存版だ。
そう。こういうことだ。これなんだよ。
杏果が作詞をしてくれて良かった!!!
だから言ったんだ杏果作詞してと!!!
ああ、嬉しい。
生きてきてよかった。
番組も終わり際、CMの間、今までにないほど幸せな気持ちになっていた。
杏果を誇りに思う。
杏果を応援してきて良かった。
ありがとう杏果。
とこのまま昇天してラジオが終わるかと思っていた。甘かった。
CM明け、声の響きが違う。ニッポン放送のロビーに場所を移動しましたと言う。どういうこと?と聞いていたら
アカペラで歌います
チーン
あっしぬ
まさかのアカペラで「心の旋律」だ。全身を耳にして聴き入った。
あの夢は叶わない・・・
・・・
いや
いや
いやいや
す
素晴ら
素晴らしい(号泣)
ロビーに響き渡る伸びやかな歌声、力強くぶつけられる「歌いたい」の叫び、朝5時、2時間のラジオ後、アカペラ、一切ぶれることのない歌唱、細やかに効くビブラート、全ての感情を電波に乗せ切り、リスナーの耳元に流し込むような、圧倒的で、美しい、心の旋律だった。
という、唯一無二のシンガー。
その存在ごと、永遠に刻みつけるような、そんな気迫を感じた。
もっと単純に言えば
歌うまっ!
音源を聴いていく中で、いつも聴いていた杏果の歌声より高くて力が程よく抜けていて自由な伸びやかさを感じるなあと、変化を感じていた。それは明らかな進化であって物足りないということもないのだが、もともと杏果といえばもっとドン!というイメージがあった。
アカペラでは、進化はそのままに、芯からドン!とした神々しい圧倒感も十分に放たれていた気がする。なんというか。ちょっとレコーディング版の杏果に失礼な気もするが、そうではなくてなんというかまあとにかく生歌は最高。
とりあえず本当に素晴らしい歌唱だった。杏果はついにここまでの次元に来てしまったのだ。というかこれを横浜アリーナで聴けるとはなにごとだ。
心の旋律に打たれ、呆然としているうちに惜しむ暇もなく放送は終わってしまった。あ、ば、バイバイ!?といった感じで。
杏果の言葉が、杏果の想いが、ぐあーーっっと胸の中を渦巻き続けている。
真っ先に録音を整理しながら、しばらくそうしていた。
それから自然と眠りに就いた。
目が覚めた時、ああ、なんて幸せな明け方を過ごしたのだろう、と真っ先に思った。
杏果と一緒に夜更かしをし、ハイになり、曲の初公開に興奮し、ライブへの思いを募らせ、というあの時間こそが大切な思い出になったのだと気付いた。
今まで味わったことのない世界がそこにあった。あの2時間を区切りに世界は完全に変わってしまって、今私は新しい目覚めにいる。
大きな夢が叶った翌朝。これからの世界は杏果の歌と共にある。そのスタートラインが6月12日の明け方だった。私は忘れない。ずっと忘れない。杏果作詞して!と願っていた日々も、決して忘れない。
杏果作詞して!
私が杏果を推し続けてきた要因のひとつ、それもかなり大きなひとつに、ブログがある。
明らかにファンを深く思いやりながら丁寧に丁寧に紡がれた言葉の数々に、何度救われ、何度癒され、どれだけのパワーを貰ってきたことか計り知れない。
ももパワー、それは杏果推しにとって酸素か水分か。枯渇すれば則ち死、恵まれた瞬間屍は息を吹き返す。
充電所とはそんなももパワーを補給させて頂く場所であり、杏果との心の交流を楽しめる大切なオアシスだ。
ももパワー充電所に通いつめて早4、5年。ももパワーは日々の糧となり、心の交流は杏果への我が愛をどんどん強くしてきた。と同時に私は、杏果の紡ぐ言葉そのものの魅力を否応なく突きつけられてきた。
その中でもずっと忘れられないのは「夏の時間」というブログだ。
→http://s.ameblo.jp/ariyasu-sd/entry-11327012893.html
(「夏の時間」より一部引用)
部屋から
窓ガラス一枚隔てて
夏の晴れわたった景色を見るのが好き
一歩外へ出たら茹だるような暑さとわかってて
今、快適な時間を過ごしている自分に
ちょっした贅沢と喜びを感じる
だけど窓ガラスから見る
外の強い日差しに照らされた
くっきりとした明るい景色が
暑いけどやたらキラキラ煌めいていて
輝いていて
結局時間が経つと
暑いのわかってるんだけど外に出たくなって
扉を開けて外に出てしまう
なんか少し人生と似てる気がする
(ちょっした は ちょっとした の誤字だが、それもまた可愛い)
・・・これを読んだ時の衝撃は今でも忘れられない。突然の詩人的なブログに何があった!?と動揺しながらも、その感受性と文才にいたく感動し、そして、そして強く願った。
杏果が作詞した歌を聴きたい!!!!!
この記事のコメント欄を見ると、私だけでなく大勢のモノノフが書き込んでいた。作詞をしてほしい、作詞とか出来そう、いつか作詞して!
その後も、杏果作詞して案件は続いた。
というか全てのブログが[杏果作詞して案件]である。逆にその中から敢えて取り上げるレベルの記事は夏の時間しか思いつかないのだが、一応他にも例を挙げる。
→http://s.ameblo.jp/ariyasu-sd/entry-11626572124.html
(「秋だね。。.:*:゜☆」より一部引用)
最近なんかぁ
いろいろ懐かしい人に出会って
しみじみすることがよくあるー
あぁ・・・・・
秋だなぁ.:*:゜☆
んーでもって
あるとき急に、ハッと
今みんなと出会ってこんな幸せでいる自分に
ちょっとビビってみたり(* *)
なんか信じられない現実に
夢を見てるような感覚に陥るときがある
でも、時はそんなこと考えてる暇もなく
光のような速さで流れていくわけで・・・
ほんとっアッという間だな、一年なんて・・・
やりたいことはまだまだあるし
夢は果てしなく広がってるんで
やっぱそこは、失敗をおそれず
今までと変わらず
思ったことには全力で向かっていける自分で
ずっとあり続けたいと思うでありやす
長~いトンネル抜ける時の
あの白い光りが見えてくる瞬間が
最高に好きだから
もう一つ引用する。
→http://ameblo.jp/ariyasu-sd/entry-11914741158.html
(「今年もやってきた・・・」より一部引用)
8月もラスト一週間・・・
毎年この時期になると
早く夏のうちにすませなきゃって
妙に焦り出してみたり・・・
祭りのあと、みたいな
花火のあと、みたいな
なんかちょっと寂しい気持ちや
なんとも言えない独特の気持ちになるよね(・Θ・)
また来年も夏は来るのに・・・
今年の夏はひとつしかないから
やっぱ大事な思い出
ずっと忘れないよう閉じ込めて
夏のままでいたい!!
なんて、どっかで思ったりして
ふっと感傷にひたってみたり^^;
この時期の空気
心がなんかざわつく感じ
夕暮れに敏感に反応してしまう自分
どれもこれも
この独特な感じ・・・
なんとも言えない感じがすっごい好き☆
この感受性。
この文才。
杏果作詞して!
杏果がジャニーズ事務所のアイドルであったならば、うちわにそう書いて振ったことだろう。
さて、杏果の感受性と文才を高めている原因と思われるものはすぐに判明した。
日記だ。杏果はずっと日記をつけていた。
日常のあれこれ、気持ちが動いた些細な瞬間を言葉にし続けてきたのだろう。日記をつけていると感情を言葉にする行為に長けるだけでなく、言葉にすることを意識して生活するが故に感受性そのものも鍛え上げられると思う。恐らく。
杏果はブログに書いていない感情もしっかりと書き留めた上で、特に伝えたい言葉をブログに入れ込んできたのではないか。
だとしたら、杏果は今すぐ作詞をしても相当いいものを完成させる。私は確信した。杏果は絶対に、作詞に向いている。確信を帯びた願いは年々強固なものになり、「杏果のソロコンサートの実現」と共に大きな夢となっていった。
そしてついに「作詞」というワードが現実味を帯びて杏果の口から発された。
昨年9月に放送された「有安杏果へきくちから」にて、「2013年頃から作詞ノートに作詞をしている」と杏果自身が明かしたのだ。
それに対してきくちPさんは「こんな感受性豊かな子が言葉を残さないのは勿体無い」と言った。
きくちP!!!
よくぞ言ってくれた!!!
あんたは天才だ!!!
その後もきくちPが杏果に詩集を貸したりと、なんとなくいい感じの雰囲気になってきた。
それでも私は、正直、全然、実現するとは思っていなかった。あれだけ作詞して欲しいと言っていた割には、あまりにも大きな夢すぎるからか、遠い未来の話のようにしか捉えられずにいた。ソロコンもそうだ。いつか叶えるから待っててね、と言われて2年後3年後を予想していた。作詞はもっと先、10年後20年後レベルで考えてしまっていた気がする。
いつか。
そんな矢先、まず「いつか」のソロコンが「いつか」ではなくなった。
(2月上旬に購入した「日経エンタテインメント!2016年3月号」より一部引用)
今年は目標のひとつだったソロコンサートも実現できそうです。このタイミングでというのは、事務所の人に勧められたわけではなくて、自分で「もうやりたい」と言い出したのが大きな理由です。
・・・えっ!?!?今年!?!?やるの!?!?うっそ!?!?えっえっは!?
文字にはしづらいが相当驚いた。天地がひっくり返るほど驚いた。
2月上旬と書いたが多分2月3日だ。
そして・・・それから間もない2月20日。DOME TREK初日の名古屋ドームから流れてきたレポートを読み、時が止まった。電車内で涙を堪え切れなかった。本日の重大発表、
有安杏果ソロライブ
2016年7月3日(日)
・・・!?!?!?!?!?!?!?
えええええええええええええええええ
7月ううううう早っっっっっっっっっっ
よ、横浜アリーナあああああああああ
それはそれは感動した。本当に嬉しかった。杏果の夢が叶う。こんなにもすぐ叶うなんて。もう本当に嬉しかった。嬉しかった!ここには書き切れないくらい。宇宙がひっくり返るほど。
ただこの時点では作詞のことなど頭にはない。相変わらずそっちは夢物語として考えていた。というかもはやソロライブの衝撃で忘れかけてしまうくらいだった。のだが。
1ヶ月も経たず、3月13日、それは京セラドームから流れてきた。本日の重大発表、
ソロコンに向けて
作詞作曲のソロ曲 1曲以上準備中
・・・・・・
・・・・・・
もはや衝撃を通り越して、"無"だ。
い、今?????
夢見たいつかがここにある。
それはそれはそれは、驚いた。
え、ていうか、"作曲"も・・・?
え?
え?
・・・・・・え?
あれから3ヶ月。
杏果はソロライブとソロ曲に関して煽って煽って煽って煽って煽って、私は煽られ煽られ煽られ煽られ煽られ、という怒涛の日々を過ごした。
ありがたいことに、ソロライブ「ココロノセンリツ〜Feel a heartbeat〜vol.0」には奇跡的に当選した。嬉しいという次元ではなかった。
少しずつ開示されていくココロノセンリツ情報、ブログで紹介される曲製作風景、ココロノセンリツも、杏果が作った曲も、楽しみで楽しみで楽しみで、夢のような心地の日々だった。杏果も、夢のようだと言った。
そしてついに、6月8日、杏果が出演したラジオ番組「ミューコミプラス」にて、楽曲の製作陣が発表された。
①作詞:有安杏果 作曲:武部聡志
②作詞作曲:有安杏果(鼻歌で) 編曲:本間昭光
③作詞:有安杏果 作曲:宮崎誠
④作詞作曲:有安杏果(ギターで)・多保孝一 編曲:Jin Nakamura
ついに、杏果が、本当に、実際に、作詞作曲をしたという、事実を、はっきりと、突きつけられた。
もちろん作編曲陣にも圧倒されたのだが、それが一番大きかった。嬉しかった。(ただ、宮崎誠さんの名にはアニオタとして死んだ。)
そして・・・
6月12日午前3時。仮眠もとらずに起き続けてしまった。
有安杏果のオールナイトニッポンRが始まる。
この生放送で杏果の新曲が初公開されることは前々から聞いており、どんなに眠かろうが聴き逃す訳にはいかなかった。
しかしこの時まで、私は甘かった。
何故か思い込んでいたのだ。
公開されるのは1曲、と。
流れるの4時くらいかな〜などと。
あの時の自分にはっきり言ってやろう。
お前、
死ぬぞ!!!
(続く...?)
追記
ももクロメンバーにやってほしいお仕事
雑記
富士見へ緑を飾る
埼玉県が誇るスーパーアイドル杏果が、富士見市PR大使に任命された。その委嘱式の第2部として「幕が上がる」の上映会と杏果&平田オリザさんによる舞台挨拶が行われるということで、富士見市へ赴いた。というか奇跡的にチケットを譲って頂いた(本当にありがとう)。
東上線に揺られながら、こちらの方面には良い思い出しかないな~とニヤけた。杏果の故郷ふじみ野を訪問したこと。路線は違うけれど、春日部へ杏果の舞台挨拶を見に行ったこと。個人的には、友達とみずほ台なんかで遊んだこと。全部楽しい思い出だ。
今日もまた楽しい思い出にはなるのだろうけれど、春日部の時のように間近で見られる機会はないだろうなと、なんとなく思っていた。遠くに見える小さな杏果とオリザさんのお声を聞いて、満足してそそくさと帰る自分の姿が目に浮かんだ。
そうして初めて鶴瀬駅に降り立ち、ららぽーと富士見に初上陸しひとまず休憩。頃合いを見て会場の富士見市民文化会館キラリ☆ふじみへ向かった。
杏果がかつて利用していたという施設。幼き日の杏果を思い浮かべながら、綺麗な建物や池、公園を眺めた。5月になったばかりだというのに灼熱の陽気で、Tシャツがグショグショになる。でもこの待機列の先に杏果がいると思えば、なんてことはない。
ようやく開場し、列が動き始めた。自由席であるため入った瞬間に咄嗟の判断で動かなくてはならない。さあどうする・・・と思っていたが。
ホールに飛び込み、言葉を失った。
近い。
狭い。
想像の何倍も小さい会場で、けれども案外横幅はあったため前方が埋まる速度は遅く、かなり前方の空席に滑り込むことが出来た。
嘘でしょ。
予想外の近さに鳥肌が立った。そこに杏果が来るのか、と考えただけで死にそうになる。こんなに小さな箱で杏果を見ていいのか。春日部の舞台挨拶の時よりもずっと近い。
ドキドキしながら、まずは幕が上がるの上映に臨んだ。
杏ノフだらけの会場で幕を上げるのは春日部ぶりで、なんだか不思議な気持ちになった。すごく心地が良い。
私にとって幕が上がるは何十回観ても毎度毎度違うことを考えさせられる特殊な映画なのだが、今回もまた新たな解釈が出来た。が、今そこは重要ではないため書かない。
とにかく涙を流しつつ感動して観終えた。余韻が強すぎて、杏果を迎えるテンションではなかった。これから杏果が出てくるとは信じ難かった。
一旦市のPR動画を挟んで、ついに舞台挨拶が始まる。
オリザさんが登場された。
・・・
・・・
近っ!!!
初オリザさん、近い。はっきりお顔が見える。うわあ、オリザさんだ。
杏果も、杏果も来るのか、この距離に。杏果が。杏果!
そしてオリザさんの紹介を受け、下手から杏果が出てきた。
うわあああああああああああああああ
杏果だああああああああああああああ
あああああああああああああああああ
最近よく見るドームトレックの衣装(白ネクタイと半ズボンと黒い靴下の、アレ)で、二つ結びの杏果。
本当に。
心から。
可愛い。
そこにいるのに、そこにいるのが信じられない。緑の衣装に包まれた可愛い可愛い杏果。靴下に付いているリボンがキラキラと輝いている。
ああ、杏果だ。
早速オリザさんとのトークが始まった。まずは二人の富士見市との関わり。オリザさんはキラリ☆ふじみの芸術監督を務めていたことがあり、杏果は富士見市に住んでいたことがある。そんな二人が幕が上がるを通して偶然知り合い、こんな舞台挨拶まで実現したのだと言う。
ここで問題が勃発した。今回の舞台挨拶全編を通して笑いを取った、富士見市かふじみ野市かという問題だ。
富士見市はよく隣接するふじみ野市と間違えられるが、今回は富士見市のイベントであるため敵対するふじみ野市の事柄に触れてはならない。しかし杏果が富士見市に住んでいたのは小4の頃までだったため、そもそも自分がどちらに住んでいたのかも鮮明ではなく、最初にオリザさんと富士見の話になった時はママに電話して聞いたというレベルなのだそう。そのため富士見市PR大使になったにも関わらず、富士見市でいいんですよね?とオリザさんに疑われていた。
サプライズで登場した鶴瀬出身の川上マネージャーも交え、客席の富士見市民の質問を受けたりしながら富士見市での思い出を語って下さったわけだが、杏果には富士見市の場所かふじみ野市の場所かという区別は難しいようで、地名を挙げる際に一旦オリザさんに耳打ちして確認する場面が何度かあった。それが・・・物凄く可愛かった。きちんと富士見市の地名を挙げられて客席からOKのサインを貰った時の喜びようも実に可愛かった。
ディープな富士見談議に非市民としては正直ポカーンとなる場面もあったが、「ああ!行ったことある!」「ああ~あった~」という風に懐かしの施設名に声を上げる杏果が楽しそうでとにかく可愛かった。私にとって唯一馴染み深かった「みずほ台」という単語を杏果が発した時には身を乗り出しそうになったが。
川上さんの行きつけの床屋さんが、昔杏果がオーディションやイベントの前に髪を整えに行っていたところだというエピソードなど、興味深い話も沢山あった。
質問コーナーでマイクを持って走る川上さんを「動けるデブ」と評したブラックな杏果も面白可愛かった。
そういうわけで、昔を振り返る杏果は可愛いな!昔の杏果を知れるのは面白いな!という舞台挨拶だったのだが、終盤に意外な展開が待っていた。
富士見市民からの質問コーナーで、最後にどうしてももう一人言わせてほしいと言って女性が立ったのだ。
覚えていますでしょうか、小学校の登校班で一緒だった○○と△△の母です。
これには会場も杏果も大変驚いた。
そのお母さんは「小学校の運動会で一人ずば抜けてキレキレのダンスを披露していた杏果が、今こうして活躍している姿を見て嬉しく思っていました、これからも応援します」といった旨を続けた。
運動会のダンスのくだりで照れて隠れようとする杏果はとてもとても可愛くて萌えたが、その時何故か涙が出てきた。周りは全然泣いていないのに泣くのはおかしいと思い耐えようとしたけれど、若干零れてしまった。思い込みかもしれないが杏果の目も潤んでいるように見えた。
昔を知っている人の元へ、大きくなった杏果が帰ってきた。育った地の大使として、立派になって戻ってきた。それを心から喜んでいる方がいる。ちゃんと見てくれている方がいる。
杏果にも、あのお母さんにも、本当に良かったねという気持ちで一杯になった。こんなことってあるんだ。良かったね、本当、良かったね。
あの会場は杏果が何度も驚くくらい沢山の杏ノフで埋まっていて、見渡す限りの緑が広がっていた。同じステージに立っていた幼い杏果には想像も出来なかった光景だろう。
小さい頃、富士見でのびやかに育ちつつ、様々な苦悩にもがき、未来の自分の姿など知らずに必死で頑張っていた女の子が、沢山の仲間を引き連れて帰ってきた。そんな彼女の人生の美しさ、シンデレラストーリーのヒロインのようなきらめきを、どこまでも愛しいと思った。
その上で、杏果はもっと綺麗なシナリオを書き足そうと決めていた。
来年もキラリ☆ふじみでイベントを出来るように頑張っていると川上さんが言った瞬間、
「歌いたいです」
とはっきり告げたのだ。音響の良いこのホールで歌いたい、と。
帰ってきたこの場所で、音楽を届けるという新たな夢を紡ぐ。
故郷へ錦を飾り、更なる錦を描く。
そんな彼女の姿を間近で見られただけで、今日来た甲斐がありすぎた。
そして楽しい時間はあっという間に終わりを迎える。
杏果は何度も嬉しそうに会場を見渡し、手を振り、可愛らしい笑顔を届け、写真撮影では可愛いぜーっと!を連発し、大好きですと言われたら「私も皆のこと大好きだよ」と返し、ブログ用の写真をせがみ、なんだかもう、本当にファンが好きなんだなと感じた。
「ここにいる皆さんは絶対7月3日来てください」と言い残し、最後まで可愛い笑顔で去っていった。
想像を遥かに超える可愛さと感動を摂取したため、終演後の多幸感が果てしなかった。好きだ。大好きだ。幸せだ。良かったね。そんなことがずーっと頭の中をぐるぐるぐるぐるしていた。
ぼやーっとした気分で会場を出ると、駐車場付近でモモノフが帰らずに留まっている。ここに来るのか、とピンと来て、とりあえず待った。
すると案外すぐに川上さんが出てきて、オリザさんも顔を覗かせた。
ちょっとドキドキする。
すると、ついにオシャレな私服の女性が姿を現した。一瞬分からなかったが紛れもなく杏果だ。ちょっと、あり得ないくらいに可愛い。
杏果は3方向くらいに散らばったモモノフの元へそれぞれ走って行って、笑顔で手を振り、記念写真に写っていた。私のいた方にも来てくれた。その時、まさに目の前に杏果がいた。
で、その杏果が・・・
びっくりするほど可愛かった。
もちろん先程までステージ上にいた杏果も可愛かったし、今まで間近で見た杏果も可愛かったし、本来であれば「やっぱり可愛い」ということになるのだろうが、今日のあの杏果は過去を凌駕する程の次元の違った可愛さを纏っていた。大勢のモモノフの前ではしゃぐような杏果・・・あんなに弾けた姿を生で見たのは初めてかもしれない。だからこそあんなに可愛かったのか。もうこの世のものとは思えない可愛さだったのだ。
杏果は車に乗り込み、開けられた窓から手を振りながら去っていった。と思ったらその先のポイントでもう一度モモノフに囲まれ、最後まで手を振って駆け抜けていった。地元の方がその光景を不思議そうに見ていたが、傍から見ればあの姿はまさしくスターそのものであったと思う。富士見を緑で染め上げるスーパースター。あの方が、有安杏果さんなんですと言って回りたかった。あれだけ愛されている人気者なんです、杏果は。
帰り道、私は幸せ以外の如何なる感情をも持てなかった。
杏果の人生という清らかな奇跡に、ファンとして携われることを心から誇りたいと思った。ありがたいと思った。杏果が生まれてきてくれたこと、同じ世に私が生まれてこれたこと、感謝してもしきれない。
これからも杏果を応援したいし、杏果の人生の輝きを追い続けたいし、私にとってそれは絶対に意味のある選択だと自信を持てる。
一方で、ほとんど同じだけ生きてきた自分の人生が輝いていないのは問題だ。だけれども、杏果がいれば頑張れると素直に思える。
杏果が好き、それだけで世界を変える。本当に好きなんだ。
まさか今日、こんなにも温かい気持ちになれるとは。あんなに近くで可愛さを堪能できるとは。ここまで最高の思い出を持って帰れるとは思っていなかった。春日部の帰り道にも似た幸せを噛みしめている。
永遠に、誰が何と言おうと、杏果が一番好きだ。
あと何度だろう、ありがとう杏色空。
☆杏果が通っていた床屋さん(多分)
☆HMVに残してくれたサイン